果樹の自然受粉を支えるマメコバチが急速に姿を消し、人工授粉に追われる産地が相次ぐ中、生態に合わせた増殖法で個体数を維持し、30年以上前から「100%自然受粉」を持続している地域がある。福島県会津若松市のリンゴ産地、北会津町下米塚地区。江戸時代に整備された茅葺屋根の旧宿場町にその奥義があった。
「今日もブンブン元気に飛んでいる」。5月末、青森県と同様に年始の豪雪でリンゴの木の2割が枝折れした農家、山口真次さん(77)の表情が和んだ。「羽音を聞くと、こっちも元気になれる」
地区でリンゴ栽培が始まったのは、北会津村だった頃の1970年代後半。国の減反政策で転作を強いられた米農家が、「ふじ」の台頭に着目し、果樹産地の道へ踏み出した。
当初はミツバチで授粉していたが、青森などで成果を上げていたマメコバチに転換しようと、88年に北会津村りんご研究会(現・北会津りんご研究会)を設立。山口さんが初代会長に就いた。一方、マメコバチが営巣していた地区の茅葺屋根も既にトタンにふき替えられ、十分な個体数を確保できなかった。
山口さんは、南隣の下郷町にある観光名所、大内宿を訪ねた。江戸時代に会津藩が整備した茅葺屋根の宿場町で、現在は国の重要伝統的建造物群保存地区。羽音に気づき、軒下を見上げた。
「ここにいたか」

山口さんは、大内宿で妙案を思い付き、研究会の仲間とマメコバチによる「100%自然受粉」に挑んだ。
奥羽山脈の懐にある大内宿の標高は700メートル。地区よりも500メートル高い。当時、夏の最高気温が30度を超えることがなく、草花も豊富で、マメコバチには最適な環境だった。
会津地方のかやぶき屋根は下地にヨシを敷く。ヨシはカヤと違い、茎が空洞になっている。マメコバチが巣穴にしていたのだ。研究会は、大内宿で名主として栄えた「美濃屋」に協力を要請した。軒先に直径20センチ程の束にしたヨシの巣筒をつるし、営巣を誘った。「驚くほどたくさん」の卵を産んだ。

軒先の巣筒を2年間は回収しないルールを決めた。大内宿の個体数を守るためで、毎年3月に果樹畑の一部巣筒を交換する。畑に巣筒を常設して世代交代を図る他の産地とは異なり、生態環境を優先した増殖法だ。地区でマメコバチを導入して30年余。近年の記録的な猛暑を背景に各地でマメコバチが姿を消し、全国のリンゴ生産量は60万トンを割る勢いで減っている。トップ産地の青森県は2024年産が歴代3番目の低さとなり、今年は一層の減産が予想される。
一方、下米塚地区は自然受粉で収量を維持を図る。 美濃屋の阿部美和子さんによると、成果を知った山形のサクランボ農家が美濃屋に巣筒をつるしたり、筑波大学の研究チームが大内宿で生態調査に乗り出したりしている。軒先の巣筒は観光客の話題を呼び、刺さないマメコバチは大内宿の風物詩になった。人が危害を加えないため、近年は日よけ用のヨシズにも営巣している。
とは言え、高齢化に伴う生産者の減少は会津も深刻で、軒先に巣筒をつるす農家は減り続ける一方だ。 研究会の現会長、山口和行さん(71)は「会津の取り組みを広く知ってもらい、果樹生産を担う若手が増えてくれたら」と願う。阿部さんも「興味を持った方はぜひ、大内宿に見に来てほしい」と呼びかける。
(栗田慎一)
大内宿 1981年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定。全長450メートルの往還に沿って妻側を向けた築200~300年のかやぶき家屋が等間隔に並ぶ。年間80万人が訪れる福島県内屈指の観光地。入場無料。
