県内では年末から2月、観測史上例のないゲリラ豪雪が断続し、リンゴの樹体が過去最悪の被害を受けた。
雪害は、代替わりしたばかりの勝也さんにとって、いきなりの試練となった。市内5カ所の園地は、長年の風雪に耐えた大樹が裂開し、実をならす枝は折れ、改植した若木も防護網を超えて雪に埋まり、表皮や根を野ネズミに食害された。
樹体の損傷は樹勢の衰えと収量減を招き、道管と師管が走る幹表層の咬害は枯死につながる。だが「わぁ(私)の被害は園地全体の1割。まだマシな方」だと勝也さんは言う。
県、市、JAによると、雪害は産地の課題を「これでもか」と突きつけた。人口減と高齢化による人手不足で、道路の除雪は間に合わず、樹上の雪下ろしや掘り下げができなかった農家は多い。山間では樹体が上部まで雪に埋もれ、シカやウサギに花芽を食べられた。改植するにしても元から苗木が足りない。
県りんご協会によると、青森ほど雪の多い産地は世界にない。明治維新に全国一斉に始まった栽培で、不利地を大産地に変えた歴史は、「リンゴで生きていく」という世代を超えた執念のリレーだ。病害虫との戦い、狭い農地で収量を上げる剪定技術、数十年に及ぶ品種開発と栽培法の改良、戦後復興、災害。危機の度に官民を問わずリーダーが現れ、地域を救い、磨いた技を他産地に広めた。
しかし、日本のリンゴをけん引する青森も、基幹的従事者は毎日2、3人ずつ減っている。毎年のように「見たこともない」病害虫が現れ、「前例のない」災害が起きる。
「だからこそ」と勝也さんが言った。「リンゴの木のように、先人の偉業を台木に、時代の変化に対応する新しい枝を接いでいく。僕ら世代の使命だと思っています」
春の風が吹き抜けた。リンゴの花たちがコロコロと笑った。
