[農政岡目八目 元農水省官房長・荒川隆](62)政府備蓄米の放出 持続可能な稲作農業を
消費者の気持ちからすれば、昨年の今頃5キロ2000円程度で売られていたものが4000円台まで高騰しているのだから、何とかしてくれ、という気持ちは分からないでもない。ただ、米の生産・流通・価格までも厳格に管理していた食糧管理法が時代遅れとされ、米の生産・流通を民間に開放し自由で創意工夫あふれる米ビジネスが花開くといった歯の浮くようなうたい文句で、規制緩和の流れが進められてきたのも厳然たる事実だ。規制緩和をあおった市場原理主義者たちに、「責任者、出て来い」と言いたい。
昨夏の小売り段階での品薄以降、米を巡る情勢は異例ずくめだ。そもそも23年産の加工原料用米穀の不足に対して政府備蓄米放出の要望が上がっていたところに、南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)が発出され、主食用米の品薄・欠品という事態に立ち至った。小売価格も梅雨明けごろからスーパーの特売が控えられじりじりと上昇していたが、24年産の出来秋を過ぎても一向に落ち着く気配がなかった。作況指数は101と前年並みの収穫量は確保されているのに、JAはじめまっとうな集荷業者に米が集まらないとなれば、流通のどこかで、欲の皮の突っ張ったやからが価格高騰を当て込んで抱え込んでいるに違いない。
物価対策という観点からも、悪徳投機筋に冷や水を浴びせるためにも、今般政府が従来の備蓄運営方針を変更し備蓄米放出を決断したことは、やむを得まい。一方で、生産者の立場から言えば、1995年に食管制度が廃止され政府買い入れ米価が最下限の米価の下支え機能を果たしていた時代が終わって以降、生産費を償える米価水準が実現したことは果たして幾度あっただろうか。自作地地代や家族労働費、自己資本利子などを含めた全算入生産費はもとより、実際の支払い生産費すら償えていない状況が長く続いている。結果として、誰も子どもに経営を継がせたいとは思わなくなっている。
また、米価高騰・品薄の時に政府が備蓄米を放出したということは、生産者から見れば、「じゃあ、米価が下落し過剰基調の時は、政府が備蓄数量を増やして市場隔離をしてくれるのか」と言いたくもなろう。そんなことをしたら食管時代への逆戻りとなり、30年かけて目指してきたはずの米の民間流通への移行が台無しになってしまう。今回の備蓄米放出は、そんなリスクを踏まえた上での農水省当局のギリギリの判断だったことを忘れてはならない。
普段は、米価はもちろん稲作経営や農業全般に関心の低いこの国のマスメディアが、昨夏以降寄ってたかってこの問題を取り上げ、あたかも政府の失策がこの事態を招き、消費者を苦しめ農家がぼろもうけしているかのような報道を垂れ流していることは看過できない。尻馬に乗るような有識者や評論家がさらに事態をあおり悪化させていることは言語道断だ。今回の事態を奇貨として、主食の米をはじめとする食料の安定供給について再度考え直し、わが国最古のなりわいである稲作農業が持続可能な形で継続できる道を探る国民的議論が必要だ。