オランダの画家、ヨハネス・フェルメールの代表作「真珠の耳飾りの少女」が、遠近法で浮かび上がるように描かれた水田。発祥の地、青森県田舎館村の今年の作品だ。展望台には、若者や親子、高齢者ら幅広い年代の観光客が次々と訪れ、歓声を上げていた。
2会場で、総面積は2・5ヘクタール。作品を一目見ようと、人口7000人ほどの村に例年20万人以上が訪れる。
「田植え体験で、普通の稲を植えるだけではつまらないと考えた村の職員の遊び心だった」。ルーツを知る村企画観光課の喜多島啓さん(49)が説明してくれた。
村内の遺跡では、約2100年前の弥生時代中期の水田跡が発見され、古代米も発掘された。村は歴史ある米どころだ。1993年、田植えや稲刈りの体験ツアーを企画した時に村職員が考案した「稲文字」。これが田んぼアートの原型という。緑色の稲と、古代米の紫・黄色の稲を使い、地元の岩木山と「いなかだて」の文字を描いた。25アールの田で、9年間ほぼ同じ絵柄を描き続けたが、反響は少なかった。
30年かけて進化
「『田んぼにスプレーしたんだべ?』。最初はよくそう言われていた」
村の田んぼアート用の苗作りを一手に担う米農家・佐々木久子さん(72)が振り返る。他の地域で使う古代米の種もみも生産し、「田んぼアートの母」のような存在だ。
当初3色だった稲は、白やオレンジ色と徐々に増え、今は7色。技術の高まりと併せて、作品のレベルも上がっていった。
佐々木さんは「暑い日でも、すごい行列ができる。いろんな人との出会いが原動力になっている」と話す。
田植え体験から始まった田んぼアートは、観光の目玉に育った。
課題は後継者不足だ。村の田んぼアートに携わる人の多くが60代以上。佐々木さんは「あと10年は描ける。だけど、(もっと続けるには)若い人がいればなあ」と漏らす。
水田の管理には、村の職員が汗を流す。水を調節したり、草取りをしたりと農作業に携わり、農家の苦労を学ぶ。同課の大高浩慎さん(31)は「田んぼアートをきっかけに稲作に興味を持ち、村に移住する若者を増やしたい」と展望を描く。
全国100カ所超で
田舎館村で生まれた田んぼアートは全国に広がる。村によると、取り組む地域は、北海道から鹿児島まで100カ所以上。12年には、制作団体が集う「全国田んぼアートサミット」を村で初開催。北海道や愛知、福井、鹿児島など9道県で、11回開いた。
今年のサミット参加団体で注目を集めたのが、タレントのマツコ・デラックスさんが茶わんを持つ様子を描いた、北海道旭川市のJAたいせつだ。
JA青年部に所属する20、30代の若手農家ら約50人が中心になり、制作を指揮。青年部長で、米や麦などを栽培する青木秀晃さん(35)は「農作業の合間を縫って取り組むことで、青年部員の団結力も生まれる。後世に残せるよう、今後も続けていきたい」と力を込める。
取材後記
田んぼアートが始まって30年。日本の伝統的な技術だと思っていたが、意外にも歴史は浅い。初めて実物を眺め、その迫力に圧倒された。稲の色を着実に増やし、上から立体的に見えるよう遠近法を取り入れるなど、農家や村の知恵に驚いた。
7月末、取材に入った日は、ちょうど「サミット」の開催日だった。約170人が集まったが、20代の記者と同世代は若干のよう。若者に人気の題材がある一方で、描き手の高齢化は深刻なんだと肌で感じた。
“米離れ”といわれるが、ただ食べてほしいと伝えても、需要が高まるとは思わない。もっと多様な使い方をして、米の魅力を発信できないか。田んぼアートを眺め、そう思った。