現在も7基残る掩体壕の中でも一番大きい4号掩体は幅44メートル、奥行23メートル、高さ8・5メートル。双発の大型機が格納出来るドーム状の建物で、屋根部分には土や草などを敷き詰めた偽装の跡が残る。戦後は農機具倉庫や冬場の作業所として使われた。
「掩体壕を文化財として守り育てる会」会長の藤本眞事さん(92)は実際に掩体を造った1人。中学2年の時に入隊し、近くの浜で上陸を防ぐための自爆練習をさせられたという。「当時は国が勝つために必死だった」と振り返る。
掩体の近くで戦前から農業を営む野村建雄さん(91)は戦後、荒れ果てた土地を手作業で開墾。現在も8アールでケールなどを育てる。田んぼの中央に掩体が造られたため、水はけなどが悪くなり、思うように耕作が出来なくなった。野村さんは「苦労して取り戻した大切な田んぼ。これからも代々受け継いでいきたい」と話す。
(山田凌)
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