僕らは学校帰りに、長いさおを使って荷台に積んであるサンマを落として遊んだんです。今考えるととんでもないことですが、ドライバーさんも怒らないし、猫も振り向かないほどサンマが取れていましたから。
カツオもよく取れましたね。魚屋では店頭に大きなたるを出し、そこに氷をいっぱい入れ、カツオを頭から突っ込んだたるが10個くらい置いてありましたね。

夕飯時になると、どこの家からも魚を焼く煙が上がっていました。
父は魚が大好きで、よく煮魚、焼き魚を食べていました。魚を食べ終わると、骨を茶わんの中に入れ、そこにお湯を入れて、刻んだネギを散らし、スープとしていつもおいしそうに飲んでいました。僕は子どものうちは、そのおいしさが分かりませんでした。
おふくろはいつもサンマとショウガを積み重ねて、つくだ煮を作っていました。それが弁当にも必ず入っていたんです。そのありがたみが分からない僕は「うわあ、またサンマのつくだ煮かよ」と思っていました。
買ってきた揚げ物が食卓に並ぶ日もありました。正確に覚えているわけではありませんが、当時、トンカツが40円だったかな。メンチカツが15円か20円で、コロッケが7円くらいだったと思います。おふくろは「お父さんは頑張って働いてきてくれたんだから」とトンカツ。子どもたちはというと、「メンチカツだったら1枚。コロッケだったら2個。シューマイは3個」と言われて。いつもコロッケ2個にするか、メンチカツ1枚にするか悩んだ思い出がありますよ。で、父がトンカツを1切れ、僕らにくれるんです。

家で鶏を飼っていたので、食卓には卵を何個も入れた大きな丼が置いてありました。各自、そこから卵を取って、ご飯にかけて食べました。それにおふくろは毎朝早起きをして、大きな卵焼きを作ってくれて、子どもたちは卵焼きの好きなところを自分の弁当箱に詰めて持っていくんです。卵焼きのどの部分を持っていくかは、早い者勝ち。姉は僕より早起きなので、卵焼きの真ん中の部分を持っていってました。
朝食のおかずはだいたい同じようなものが続きましたが、みそ汁の具の野菜はその日その日で変わりました。僕は油揚げを使ったみそ汁が大好きなので、ダイコンのみそ汁でも、豆腐のみそ汁でも、一緒に油揚げが入っていればOK。あと、僕はトウガンが好きで、みそ汁に入っているとうれしかったですね。
みそ汁の具に限らず、野菜はいろんな種類のものが食卓に上がりました。というのも、おふくろの実家が千葉県飯岡(現・旭市)の塙という所で、農家をやっていたからです。よく遊びに行き、そのたびに新鮮な野菜をいただきました。塙のおじさん、おばさんたちは麦飯を食べていたようですが、僕たちは祖父、祖母と一緒に白い光ったご飯を食べさせてもらいました。

おふくろの味で特に強く覚えているのは、切り干し大根とアジの南蛮漬け。切り干し大根は近所に分けたりしたんですが、すし屋さんも「うまい」と喜んでいたほどです。アジの南蛮漬けは、小アジを3回くらい揚げていたようです。それを野菜と一緒に甘酢で漬けていました。
おふくろが亡くなってから、姉がその二つを作ってくれます。それを食べてつい「普通の人はおいしいと思うだろうけど、おふくろの味と比べると落ちるな」と。どうやら姉もそう感じているようです。
(聞き手・菊地武顕)