長嶋さんとの忘れられない思い出は、1996年のセ・リーグ優勝だ。巨人は一時、首位に最大11・5ゲーム差をつけられた。それを追い上げた大逆転劇「メークドラマ」の原動力として、河野さんは活躍し、最優秀中継ぎ投手に輝いた。
長嶋さんとの交流は、巨人退団後も続いた。河野さんは「定期的にタマネギを長嶋さんに送り、時には長嶋さんが買ってくれた」と振り返る。球団創設90周年のイベントで会ったのが最後だった。
河野さんは「巨人時代、緊張して自分から話しかけることはできなかったけれど、とてもきさくに『げんちゃん、げんちゃん』と話しかけてくれた。農業を応援してくれてとても感謝している」としのぶ。
金足農高・嶋崎元監督
長嶋さんの訃報を受け、「野球界の重鎮を失い悲しい」「訃報を知り、思わず声が出た」などと、全国の農業関係者も深い悲しみに包まれた。
「野球界の重鎮を失い大変悲しい。われわれの世代は、みんな長嶋さんに憧れ野球を始めた」と話すのは、秋田県の金足農業高校の監督として春、夏計7度甲子園出場に導いた、同県五城目町の嶋崎久美さん(77)だ。
長嶋さんのプレースタイルについて「観客を沸かせる魅せる野球だが、それは基礎があってこそできる。金足農業の生徒には、長嶋さんを参考にし、基礎を徹底し教えた。甲子園球場で強豪相手に戦えたのは、長嶋さんのおかげだ」と話した。
熊本県益城町の農家、浜田雅之さん(80)は、「ニュースで訃報を知り、思わず声が出てしまった。昔、球場で見た長嶋さんはまさにヒーローだった。引退試合の『永久に不滅』という言葉は忘れられない」と悲しんだ。
浜田さんは、過去に中学時代の村上宗隆選手(現ヤクルト)が放った打球が自身所有の農業用倉庫に突き刺さった経験を持つ。「村上選手も、長嶋さんのような、日本を背負うヒーローになってくれたら、うれしい」と期待を寄せた。
(中村敦信、前田大介)

