それで夕飯は7時か8時。特に舞台が近づくと稽古も長くなるので、上のきょうだい3人は「おなかすいたね」と言いながら待っていました。
母はお弟子さんのお世話もしないといけなかったので、料理の下準備は私がすることが多かったです。小学校5年生ぐらいになると、10歳離れた妹を背負って、台所に立っていました。料理は知らず知らずに身に付いていった部分があります。

母は料理を習ったわけでもないので、しゃれた食卓ではなかったですね。ごく普通のおかずが並びました。ナスとインゲンマメの煮びたしとか肉ジャガとか。それから牛肉の時雨煮が作り置きされていて、ご飯にかけていただきました。あとは子どもたちが好きなコロッケですかね。
ただ父だけは特別に刺し身がつくんです。刺し身好きの父は困ったことに、切って売っているのは嫌。柵で買ってきて切れと言う人でした。
ですから私は、刺し身の切り方も見て覚えました。本職の方のようにきれいにはできませんけど、なんとなくやれる、みたいな感じですかね。台所には、出刃も小出刃も刺し身包丁も全部そろっています。

他に小さい頃の食べ物で記憶に残っているのは、お歳暮やお中元で頂いたもの。鳩サブレー、そばぼうろ、カルピスがおいしかったなあと。鳩サブレーは1枚をきょうだいと半分にして食べた記憶があります。尻尾の方にする? 顔の方にする? こっちの方が大きいなんて言いながら食べていました。
風月堂のゴーフルも鮮明に覚えています。薄い生地に挟まれたイチゴ味、チョコレート味、バニラ味のクリーム。やっぱり「半分半分よ」と母が切ってくれて。あとは泉谷のクッキー。いろんな形があるんですよ。丸い浮輪形のがいいとか、ギザギザのがいいとか。きょうだいで取り合いましたよね。
正月の思い出は、すき焼き。1月1、2日は、父は年始に回ったり、お弟子さんがいらしたりするので忙しいんです。そのため毎年3日に、祖父母の家に新年のごあいさつに行きました。そこですき焼きを必ずやったことをよく覚えています。その当時はすき焼きなんて、何か特別なことがあった時の料理ですものね。

子どもの頃に食べたものを楽しく思い出せるのは、病気をしたことで食べることへの感謝の気持ちが強くなったからかもしれません。私はがんの手術で胃を切った後、食べられなくなったんです。短期間で10キロくらい体重が落ちたんですよ。37キロを割っちゃって、風が吹いたらヘロヘロとなるぐらいでした。
食べないと大変なことになるので、チュッチュチュッチュとゼリー飲料を吸っていました。そうやって栄養補給をしていたんです。それを経験したからこそ、自分の歯でそしゃくしてのみ込むこと、固形物をかんで食べることの大切さを知りました。
それと食には香りが大事だと感じています。香りが食欲を刺激するんです。たとえば私は、いわゆるゲテモノ料理も結構平気です。以前テレビの番組で、世界各国の変わった料理を食べたんですね。ユスリカという蚊を大量に捕まえて畳イワシ状になったものとか、女王アリとか。どちらも見た目はなんですけど、焼くと香ばしくて結構いけると。
香りの大切さを考えると、母が稽古中に料理をしないと決めたのは、正しかったんですね。
(聞き手・菊地武顕)