兵庫県北西部に位置し、鳥取県との県境にある新温泉町海上地区。神戸市内から車で約3時間の山あいの集落にその家はある。
モシャモシャモシャ――。呼び鈴を鳴らそうと玄関の前に立つと、すぐ隣で子牛2頭が木製の柵から顔を出し、干し草をはんでいる。「昔はどこの家もこういう飼い方をしてたんだ」。出迎えてくれた家主の尾崎喜代美さん(88)が話した。
「厩」は、家の中に設けられた牛の飼育スペース。玄関を入ってすぐ横にあるのが一般的。四方を壁や柵で囲った、おりのような構造となっており、その中で牛を飼う。広さは4・5~6畳が中心だ。
60年ほど前に建てられた尾崎さんの家は、壁で厩を区切っているため、家の中から直接、厩に行くことはできない。ただ、一つ屋根の下に人と牛の居住空間がある造りは、厩の特徴そのものだ。
資源循環の伝統
尾崎さんは現在、繁殖雌牛2頭と子牛2頭を飼う他、水田40アールで米を作る。牛の排せつ物は堆肥にして水田にまき、水田のあぜの雑草は刈り取り、牛の餌にする。地域で古くから続く循環型農業だ。繁殖雌牛は6~10月の間、放牧に出す。事前に種付けし、冬に自宅に戻ると出産する。出産後は6月に再び放牧に出すが、子牛は自宅で育て、夏か秋の市場に出す。
多くの集落が山間部にある美方地域。但馬牛博物館(同町)の野田昌伸副館長は「平地が少なく、牛小屋を建てるほど土地に余裕がなかったこともあり、家の中で牛を飼う厩という住居様式が生まれた。家の中で接するうちに、牛を家族同然に大切にする文化が培われた」と説明する。
専用のかまども
家々には牛専用のかまどもあり、冬に体を冷やさないよう湯を与えたり、干し草やわらを食べやすいように柔らかく煮たりするのに使われたという。
同博物館によると、「厩のある家」はピーク時の1950年代、現在の美方郡(旧香住町を除く)に4000戸ほどあった。ただ、農業の機械化が急速に進んだ60年代以降、農耕牛を手放す農家が増え、厩も徐々に姿を消した。現存するのは尾崎さん宅だけという。
生まれた時からずっと一つ屋根の下で牛と暮らしてきた尾崎さん。「牛はかわいくて仕方がない。いつまでも牛との暮らしを続けたい」
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