国内屈指の捕鯨基地、紀伊半島南端部の和歌山県太地町。10月下旬の昼すぎ、山の斜面に建つ太地小学校に歓声が響いた。この日の給食は、鶏肉のから揚げをしのぐ人気献立、月に一度の鯨肉の竜田揚げだ。お代わりじゃんけんに勝った一人、4年の堀川結太朗君が「ふわふわした食感がたまらない」と破顔した。 現在、県内を中心に全国の給食へ鯨肉を提供するのは、県学校給食会。その道程には、山が海にせり出し、農地の乏しい南紀の願いが刻まれている。

欧米を筆頭に20世紀半ばまで盛んだった世界の鯨漁は1982年、愛護運動や乱獲を理由に国際捕鯨委員会(IWC)がシロナガスクジラなど大型種の商業捕鯨停止を決めた。北欧など一部の国は続けたが、日本は小型種や調査目的の捕鯨に変更した。戦後の食料難の時代から日本人の食を支えた鯨肉は、漁獲量が減って高騰し、給食費では手の届かない高級食材となった。
約20年後の2004年、太地町は県の教育委員会と学校給食会に「地元の産品を子どもたちに食べさせたい」と鯨肉給食の再開を願い出た。高騰分の補填などで05年に再開された時、県内の栄養教諭らが集まって調理法を工夫し、揚げやすくかたくなりにくい「4センチ×4センチ×5ミリ」のスライスを編み出した。

日本は18年、資源回復の証拠を基に商業捕鯨の再開をIWCに提案したが、却下された。脱退後の19年に3種の捕獲枠を設けて再開すると、全国の給食に鯨肉が再登場。今年6月には水産庁が大型種の捕獲枠を拡大した。
「山がちで田を開けない太地町は、鯨を中心に地産地消を進めています」と同小校長の海野文宏さん(60)が言う。鯨の語源は、神武天皇が熊野で詠んだ歌にある「久治良」とされる。熊野地方にある太地町と給食関係者の信念が、6000年の食文化を未来へ紡ぐ。