

大館とんぶり生産組合の組合長、本間均さん(72)は「(とんぶりの)火を絶やしてはいけない、という使命感でいっぱいだった」と語る。原材料のホウキギの栽培方法や大館とんぶりの製法は門外不出だったが、24年から市内在住者に限って加工場の見学を受け入れるように変えた。
とんぶりは1973年、食用にしていた市内の3地区が中心となって生産組合が発足。商品化し、消費が広がった。最盛期には、138戸が年間400トン超を生産。2017年には地理的表示保護制度(GI)に登録され、知名度が高まった。
一方、高齢化などでホウキギの栽培を止める農家が相次ぎ、23年度には5戸まで減少した。この年は猛暑や害虫の大量発生で、生産量も約7トンまで落ち込んだ。本間さんは「追い打ちをかけるような不作で、非常に心苦しかった」と振り返る。
だが、秘伝だったホウキギの栽培技術や「大館とんぶり」の製法を公開したことが反転攻勢につながった。
24年度に若手農家2人が加わった。生産組合は、機材の貸し出しや技術指導で2人を後押しした。スマートフォンのアプリで害虫の発生状況などを素早く情報共有できるように改めたことなどが奏功し、同年度は生産量が約40トンに回復した。
新たにホウキギ栽培に加わった2人は、因幡成弘さん(42)と小畑祐真さん(23)。東京からUターンした因幡さんは「ホウキギは価格変動が小さいので、計画を立てやすい」と強調。新規就農者の小畑さんも「ホウキギ農家が減っていると聞いて、もったいないと思った」と語る。
県外からの応援も力になった。その食感に魅了されたというタレントのふかわりょうさんは、PRソングを自作。地元のJAあきた北から「とんぶり応援大使」に任命され、収穫に駆けつけている。
首都圏や関西からの問い合わせも増えており、同JA販売営農部の安部泰史副部長は「菜食者向けに海外でも需要が高まっている」と手応えを示す。
本間さんは「大勢の人に求められてうれしい。若い後継者を増やし、これからも『大館とんぶり』を届けてゆきたい」と語る。

ホウキギの実を加工して作る「大館とんぶり」の製法は長年、門外不出だった。十数回の水洗いなど3日間の工程を経て「陸の数の子」が出来上がる。
「大館とんぶり」の製造は、乾燥したホウキギの実を30分ほど釜で煮るところから始まる。皮をむき、汲み上げた地下水で5、6回水洗い。再び薄皮をむいて今度は十数回水洗いを繰り返す。洗いの回数を重ねるごとに水の濁りがなくなり、淡い緑色の粒々が徐々に姿を見せ始める。
洗いの後、石の重しを8時間載せて水を切って完成だ。本間さんは「洗いは、腕や腰への負担が大きいが、この作業をすることできれいなとんぶりができる」と強調する。
<ことば>大館とんぶり
ホウキギの実を加工した郷土食。利尿や強壮効果があるとされる漢方薬「地膚子」としても食されていた。タンパク質やビタミン、亜鉛、食物繊維に富み、脂質代謝を促すサポニンも含む。ホウキギの栽培は4月下旬に始まり、9月下旬から収穫する。加工後の「大館とんぶり」は例年10月下旬から店頭に並ぶ。