稲作はやっていなかったんですけど、遊びに行くたびに祖母はおいしい米でおにぎりを作ってくれました。これがやたら塩辛かったんです。その頃はあまりの塩辛さにただびっくりしていましたが、大人になって勤めだしてから、体を使う人のための料理は塩分が多めだということを知りました。畑で働く祖母はすごく体を使うから、おにぎりは塩辛かったんだな。そう納得しました。祖母のおにぎりには、具が入っていませんでした。それがかえって、ご飯のおいしさを引き出していたと思います。
おにぎりと同時に出されるお茶は、甘茶でした。まるで麦茶に砂糖を入れたような味で甘くておいしかったから、「おばあちゃん、甘茶ちょうだい」とよくもらっていました。 祖母が出してくれるものは、みんな好きでした。畑では塩辛おにぎりと漬物と甘茶。家の中ではサイダー。
祖母のおかげでご飯と漬物が大好きになった私は、大学時代に野沢菜の漬物にはまってしまいました。野沢温泉のスキー場でアルバイトをした時においしさを知り、以後はスキーに行くのか野沢菜を買いに行くのか分からないような感じで、長野を訪れました。ものすごくおいしい野沢菜の店があって、そこでしか売っていませんでしたからね。
祖母の世代は、江戸時代とつながっているといっていいと思います。
江戸時代には、長い間続いていた戦が終わったことで、安心して農作ができるようになりました。米がたくさん取れるようになり、白米を食べ過ぎてかっけがはやったこともあるくらい。ご飯に合うものとして、漬物だったりのりだったりも開発されていったのです。
農民もいろいろ考えました。米だと年貢として割高に取られてしまうから、米以外も作ろう、と。そこで特に江戸時代後期には野菜の品種改良が進みました。また旅行する人が増えたので、街道の宿場で売れる名物を作ろうと工夫しました。
平和が農業を発展させたおかげで、元禄の文化が花開いたわけです。 今、海外の人から日本食が人気です。日本が好きでやって来るリピーターが到着してまずやることは、コンビニでおにぎりを買うことだといいます。そういう日本食のベースは、江戸時代の農民たちの努力と工夫にあるといっていいと思います。私が大好きな野沢菜も、江戸時代に作られ始めたといわれています。
先日、西尾市吉良町で開かれた「忠臣蔵サミット」に招かれました。忠臣蔵に縁の深い全国の自治体が多数参加していました。
その時、吉良の里で作った碾茶(てんちゃ)そばを食べてみました。抹茶と碾茶(抹茶の原材料)を練り込んだそばで、ものすごくおいしかったんです。ネットで調べてみたら通販でも買えるそうで、「これはいい」と取り寄せることにしました。 「忠臣蔵サミット」に参加した自治体は、それぞれ名物を作っているのですが、残念なことに全国の消費者になかなかその情報が届いていないんですね。私は赤穂の塩あめが気に入っていて、作品の中に「薬にもなる」というせりふと共に登場させています。赤穂で作られた天塩をあめの中に入れ込んだもので、塩分やミネラルの補給に役立つのです。
忠臣蔵で出てくるように吉良は赤穂に意地悪をしましたが、背景には吉良の塩が赤穂の塩に品質で及ばず人気がなかったからという説もあります。争いの背景には、食が関係していたということでしょう。
作物がたくさん作られみんながおいしいものを腹いっぱい食べられたら、戦いはしない。農業の発展が世界平和につながればと願っています。
(聞き手・菊地武顕)
どばし・あきひろ 1969年、大阪府生まれ。小説「海煙」(2011)で伊豆文学賞を受賞したのを機に、小説、ドラマ・映画の脚本を多数手がける。11年に執筆した脚本「超高速!参勤交代」で城戸賞受賞。同作は13年に小説が刊行、14年に映画化され日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞した。18年執筆の小説「身代わり忠臣蔵」がこのほど映画化されるに当たり、脚本を担当した。同映画は9日公開。