僕自身、その時の記憶が少しあるんです。病院のベッドで寝ている自分の姿を俯瞰(ふかん)で見た記憶が――。幽体離脱してたのかどうか、そこまでは分からないんですけど。
祖父は山に行っていろいろ採ってくるのが好きだったんですよ。おかげでヤマイモ、タラの芽、フキのとう、ワラビ、ゼンマイがよく出ました。摘んできたドクダミを干して煎じたどくだみ茶も飲みました。
当時、僕の家(茨城県千代田村=現かすみがうら市)の周辺では、農作物などの物々交換が当たり前のように行われていました。近くの農家の人が収穫した野菜や果物を持ってくると、うちにあるものを持って行ってもらう。祖父母は肉屋をやっていましたから、肉と交換していたのかもしれません。野菜や果物は買ったことがなかったと思います。
その頃は霞ケ浦にウナギがたくさんいて、祖父が月に何回か捕ってきてさばいていました。骨も素揚げにして食べました。天然ウナギなんて今ではめったに食べられない貴重品ですが、その頃は「またウナギかあ」と言ってたくらいです。
また母は那珂湊という漁港生まれなので、親戚や知り合いに漁師がたくさんいたのです。その人たちが取れたての魚を送ってくれました。
そうやって得た新鮮で安全な野菜と果物、魚、肉を使い、母が料理してくれました。食卓に並んだのは、無添加のものばかりだと思います。
家の周囲には、梨や柿を作る農家がたくさんいました。それをこっそりもごうとして見つかると、「お前、そんなに食いてえんだったら手伝え」と怒られて。それで収穫を手伝うと、最後は梨や柿をいっぱい持たされた。これもいい思い出です。後に僕は役場の高齢福祉課で働き、同じような経験をしました。高齢者の農作業を手伝い夕方に作業が終わると、酒とご飯を出してくれるんです。飲み食いしているうちに「今夜は泊まっていけ」と言われて。小学校時代と同じで、温かみのある農家にかわいがってもらったんですね。
朝は納豆と卵と漬物。夜はあまり脂を使わないたんぱく質のおかずが多かったです。中学入学時は150センチなかったくらいでしたけど、おかげでグンと背が伸びました。特に中学2年の夏休みに、一気に22センチも伸びたんです。2学期の始業式で「誰だ、お前?」と皆が驚きました。
病弱だった僕は、茨城の食材のおかげで、大きく丈夫になりました。茨城は全国有数の野菜と果物の生産地で誇らしいのですが、残念ながら宣伝があまりうまくないようで……。このあたりは、茨城の方々の人のよさ、欲のなさでしょうかねえ。
(聞き手・菊地武顕)
あんときのいのき 1973年、茨城県生まれ。故郷の千代田町(当時)職員として働いた後、モノマネ界へ。故アントニオ猪木氏のキャラを生かした1人コントや替え歌などの持ちネタで人気。身長183センチの恵まれた体格で、かつて50メートル走で5秒9を記録するなど身体能力も高い。2級建築士の資格も持っている。いばらき大使、かすみがうらふるさと大使、茨城県境町ふるさと納税大使なども務める。