私が生まれ育ったのは、富山県井波町(現・南砺市)。山の麓の町で、祖母は小さな畑で野菜を作っていました。また春になりますと、山に行ってゼンマイやワラビなど山菜を採ってきました。その中で私はササダケが大好きでした。ササダケというのはうちの方の言い方で、ヒメタケノコという地域もあるようですね。
私が好きだから、祖母はたくさん採ってきたんですよ。家に帰るとすぐにお湯を沸かして、全部湯がきました。粗熱を取った後、私は子どもながらに皮をむく手伝いをした記憶があります。ササダケを使った料理はいろいろあるんでしょうけど、祖母はシンプルに煮物にしていました。

ホウキグサの実は「畑のキャビア」といわれ、本当にキャビア状のツブツブなんですよね。食べるとプチプチした食感。井波町には「ほうきのよごし」という伝統料理があります。でも子どもの頃の私にはその良さが分からない。見た目だけで「これは小鳥の餌だ」と言ってました。
食卓には、育てた野菜や採ってきた山菜を使った料理が並んだわけです。愛情が込められた食事をいただけたのは幸せだったと思います。
東京の大学に入り、1人暮らしを始めました。司法試験は難しく、在学中に合格できなかったんですね。浪人をして勉強しました。勉強に専念するためバイトもしなかったし、親からの仕送りもない。とても貧しいので朝晩は自炊をし、お弁当も作っていました。なぜお弁当かというと、私は近所の図書館で勉強をしていたんです。開館する朝の9時から閉館する夜の8時まで。外食するお金がなかったから、図書館の近くの公園でお弁当を食べました。

図書館は月曜が休館日でした。そこで月曜は勉強も休みにして、スーパーに行き1週間分の食材を買い、日持ちする料理を作りました。食材は野菜中心。肉は高いものは買えなかったので、鶏の胸肉やひき肉を使って唐揚げやハンバーグを作っていました。

米国時代の食事も思い出されます。向こうのアパートのキッチンには、業務用かと思うくらい大きなオーブンが備え付けられてたんですよ。最初の頃は使っていませんでした。ただある時、スーパーで冷凍の七面鳥がゴロゴロ並んでいたのを見たんです。地元の人に聞いたら「丸焼きにするんだ。オーブンがあるからできるでしょ」と。だとしたら、自分も焼いてみたい。まさにクリスマスの時期に、七面鳥の丸焼きを作ってみたんです。
なかなか豪快な料理ができたなと満足。それでオーブンを使った料理をもっと作りたいと思ったんです。パンを焼いたり、ケーキのスポンジを焼いたり。日本ではスイーツまでは作っていませんでした。でも米国のオーブンならいろいろ作れる。料理の領域を広げたんです。

ただそんな生活を続けていたら、体重が10キロほど増えたんですよ。さすがにまずいと食事を見直そうと思った時に、スーパーでアボカドが目につきました。
私が住んでいたカリフォルニア州には、メキシコからたくさんアボカドが輸入されていたんですね。米国人に聞くと、健康のためにアボカドを食べるというんです。それで自分も食べてみたら、クリーミーでなかなかおいしい。サラダやマリネなど、アボカドを使ったいろいろな料理を展開したんです。すると体重も減り、スッキリしてきた。
自分の食生活を振り返ると、祖母の手料理、司法試験勉強中の自炊、米国滞在中のアボカドとの出合いなど、野菜と果物を中心に手作りの食事をしたことが、健康の秘訣(ひけつ)だったのではないかと感じます。
(聞き手・菊地武顕)