世界遺産「平泉」に近い岩手県一関市で7月25日、一つの青果市場が最後の取引を終えた。一印一関青果卸売は、1973年に地方卸売市場の認可を受け、半世紀にわたって市民の台所として市場を運営してきた。
閉場を控えた7月初頭、午前7時前に始まったせりの参加者は、10人余り。しんとした場内に、流れ作業のように淡々と仕切るせり人の声が響いていた。
取引はわずか5分で終了。一関市で野菜を生産し、出荷に訪れた葛西信昭さん(65)は「昔は八百屋に活気があって50人は来ていたのに」と、寂しげに往時を振り返る。青果店が続々と店をたたむ一方、大型スーパーや直売所が増え、同社の取引は年々減少。バブル期に30億円あった取扱高は8億円に減った。
せりの縮小を受け、スーパーとの取引にかじを切るが、待っていたのは周辺市場との競争だった。勝股肇彦社長は「提示価格が安い卸に注文が集まるから価格訴求に走らざるを得ず、利益を出せない」と漏らす。一方で、豊富な品ぞろえの要請に応えるには他市場から仕入れるしかなく、調達費がかさんだ。
近年、小規模市場の閉鎖が相次ぐ。5月には、東京都青梅青果地方卸売市場が閉場した。多くが卸売市場法の施行(1971年)後に整備され、50年近く経過。老朽化した施設の再整備問題も、継続を難しくしている。
市場で仕入れ、青果物の卸売りも手がける葛西さん。7月だけで3回、仕入れ業者や運送業者、周辺市場の卸と会合を開き、代わりの受け入れ先や方法を議論した。「閉場を機に、一関市場に出していた農家がやめると聞く。学校給食への供給も地場産の調達が難しくなり、県外から仕入れるしかない」と懸念。地元生産者の販路、地産地消の拠点がなくなる影響は、小さくない。