1日で発生から半年となった能登半島地震。特に被害の大きい石川県の奥能登地域では、水稲の作付面積が4市町(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)とも100ヘクタール以上減少したことが分かった。一部来年度以降の地力回復のため緑肥を作付けするが、大半が地割れなどで何も作付けできていない。奥能登以外の市町でも、田植え後に漏水や地盤沈下が判明するなど、被害の全容はいまだにつかめない。畜産では、離農や規模縮小を余儀なくされた生産者がいて、復興は依然、道半ばだ。
日本農業新聞が石川県・能登半島地域の12市町に、6月末時点の作付面積を聞き取った。非主食用も含む水稲全体。減少面積が最も大きかったのは輪島市だ。2023年産の作付面積988ヘクタールの約5割となる500ヘクタール弱が作付け困難となった。農地被害や設備の故障の他、「長期避難世帯が多数おり、そもそも耕作者がいない」(市農林水産課)という。
珠洲市は前年の45%に当たる340ヘクタール減。減少分には一部、高齢化による離農も含むが、市産業振興課は「農地被害だけでも344件あり、被害額は19億円超。地震による作付け困難な面積が相当あるはずだ」と話す。
穴水町は前年の4割に当たる100ヘクタール減。能登町は集計中だが、前年の作付面積752ヘクタールのうち「8割で作付けできた」(農林水産課)とみている。
12市町全体では、前年の9割弱に当たる1万ヘクタール超で作付けできたとみられる。ただ、田植え後に被害が分かるケースも増えている。
最大震度7を観測した志賀町では、パイプラインの漏水や「地盤沈下して植えた苗が水に漬かった」(町農林水産課)事例など、作付け後の被害報告が相次いでいるという。
河北潟干拓地で液状化被害の生じた内灘町では、8割以上減少。同干拓地では大規模な基盤整備が必要で、JA石川かほくによると約50ヘクタールが作付け不可能とみられる。
かほく市と津幡町の減少分は、昨年7月の線状降水帯による豪雨被害の影響が大半を占める。いずれの市町も、最終的な面積は調査中としており、今後増減する可能性がある。
牛の生産者4戸廃業 乳量水準維持へ河北潟11戸奮闘
畜産関係では、県内の乳牛・肉用牛の生産者4戸が6月末までに廃業した。経営再開に時間がかかっていたり、飼養頭数を減らしたりする生産者もいて、厳しい状況は続いている。
石川県酪農業協同組合によると、県内31戸の酪農家のうち、震災前に能登半島で経営していたのは16戸。6月末時点で12戸が出荷再開し、2戸が廃業した。他に、1戸は7月中下旬の集乳再開を見込む。もう1戸は経営継続の意向があるものの見通しが立たない。県南部の15戸は出荷を続けている。
一方で、県内の乳量は震災前の9割超を維持している。同組合によると、2023年12月の集荷量が1418トンだったのに対し、24年5月は1367トンで96%まで回復。「特に液状化の甚大な被害を受けた河北潟の11戸が頑張っている」(同組合)という。同地域には奥能登から被災牛を受け入れた農家もおり、震災前より50トン出荷を増やした。今後は被災農家の牛舎再建に向けて、国や乳業メーカーと調整を進める。
肉用牛では、繁殖・肥育経営合わせて県内34戸のうち、25戸が能登半島で経営していた。数頭程度に規模縮小した生産者を含めて、6月末時点で23戸が経営を再開。2戸は廃業した。
解説 人手不足の克服急務
半島という条件不利地で起きた能登半島地震から半年。現在も石川県では2000人以上が避難生活を送り、水道などインフラ復旧も終わっていない。被災地は離農などにより、人手不足が深刻化。過疎化が進む中山間地域、農村が抱える“もろさ”も浮き彫りになった。時間の経過と共に次々と露呈する課題を整理し、住民の意向を踏まえた復興を急ぐ必要がある。
半島先端の奥能登で水稲の作付けができた面積は前年の6割にとどまった。一方、4市町いずれも、作付けを断念した農地のうち、被災で作付けが困難となった面積や復旧の意向がある面積の把握は進んでいない。個人所有の農地は、所有者と復旧の意向確認をしないと工事を発注できないが、長期避難などで確認が進まないのが実情だ。珠洲市の担当者は「職員が少な過ぎる。仕事が回らない」と漏らす。
根幹にあるのは人の不足だ。市町村合併により、旧町役場は市役所の支所となり、配置する職員数も減り、機動力が落ちているのが現状だ。
農家の離農が進めば農地は荒れ、農地の管理がつないできた地域のコミュニティーも薄れる。県が主導した二次避難で地域外に一時的に移住するなど、住民が散り散りになったのも能登半島地震の特徴だ。
県が示した復興プランには、関係人口の創出が最重点課題に位置付けられた。地域に新しい風を吹きこむ若者や移住者の存在も復興には欠かせない。しかし、関係人口や移住者の住まいの受け皿となってきた空き家は多数被災。現場は住居の確保ができず、人材の呼び込みに二の足を踏んでいる。
能登地域は1月、主要道路の崩落や海岸の隆起、電波障害などで長期間、半島全体が孤立状態となった。各地で農業用ハウスを避難所として開放するなど、農村の「共助」の力で被災直後を乗り切ってきた。しかし、共助だけでは限界がある。
人手不足など、半年たって深刻化するさまざまな課題を整理し、復旧・復興を進めていく必要がある。