
校舎などの施設は、1969年にJA全中直営の学校として同学園の開校時に建設。3年間の全寮制で、協同組合の理念や営農指導論などの専門教科や一般教養を伝える学校として門戸を開いた。その後、99年に学園をJA全国教育センターとして改め、JA幹部を養成する1年制の「JA経営マスターコース」を開講している。
約14ヘクタールの広大な敷地には、本校舎を中心に体育館や学生寮、運動場などを備えた。
敷地は都の緑地化計画により、既に一部を東京都に譲渡した。残りの敷地も今年中に譲渡する計画で、施設はその後、解体する。同センターの機能は東京・大手町のJAビルに移る。
同学園を卒業した、山梨県の校友会のメンバーらは1月、同センターを訪れ、校舎や体育館などを見て回り、別れを惜しんだ。新型コロナウイルス感染防止のため、現在在籍するJA経営マスターコースの生徒とは接触せずに実施した。
「学園祭で体育館のステージに(歌手の)杏里を呼んだ」と思い出を振り返ったのは、学園の11期生でJA共済連山梨県本部の原田悟さん(60)。体育館の2階で見つけたドラムをたたき「仲間とバンド演奏も披露した。学園がとても充実していた時期だった」と懐かしむ。
一行は食堂や寮などを巡り、そのたびに昔話で盛り上がる。「日曜日の朝だけはパンが出た」「授業でダム湖まで走らされた」「寮に酒の宅配が届いたという放送がしょっちゅうあった」――など、学園で過ごした青春の思い出は尽きない。
10期生でJA南アルプス市の飯野学常務は「この場所で先生や先輩から学んだ相互扶助の協同組合精神が私の原点。なくなるのはやっぱり寂しいね」と遠くを見詰めた。(染谷臨太郎)
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