言葉巧みにPR
「爽やかな香りのかんきつはいかがですか」。東京・新宿。マネキン歴15年の竹下博子さん(56)が鹿児島県産のかんきつ「大将季」の試食を勧めると人だかりができた。野菜ソムリエでもある竹下さんは「ビタミンも豊富でお肌にもいいし、皮は刻んでサラダとあえるといいですよ」と食べ方を提案。20代の姉妹は「家で食べるのが楽しみ」とレジへ向かった。
竹下さんが仕事の紹介を受ける派遣事業者、アップクオリティ(東京都新宿区)は、売り場に立つ前に、野菜や果実の食べ方や品種の特徴を紙でまとめ、マネキンに渡している。
同社のマネキンの実働人数は年々減少。泉川大代表は「コロナ禍が追い打ちをかけた」と打ち明ける。
2020年4月の緊急事態宣言以降、5類引き下げまで3年間、スーパーや百貨店の試食はほとんどなくなった。売り場に立つのが好きで働いていた多くのマネキンは「これを機に」と、辞めたという。青果のマネキン事業に限って請け負っていた会社の倒産も起きた。実働していたマネキンが60人から半減した会社もある。
人手不足影響も
食品のマネキンは、商品の魅力を正しく伝えるため、調理方法などを実演したり、試食を提供したりして、買い物客の心をくすぐり、購買につなげる役割を果たす。売れ行きや客層を報告書にまとめ、産地につなぐ。言わば産地と消費者を橋渡しするのが仕事だ。
卸売会社やJAは販促費を充て、派遣事業者にマネキンの派遣を依頼する。紹介を受けたマネキンは、日にち、勤務地や賃金を比較し、好適な条件の仕事を選ぶ。
雇用形態は非正規雇用が多く、仕事は自らの生活スタイルに合わせて、短期間から長期間まで、柔軟に選べるのが魅力だ。作柄によって野菜や果実のフェアの回数や規模が変わる青果物業界は、自由に働きたい主婦や高齢のマネキンと“持ちつ持たれつ”の関係を築いてきた。
厚生労働省によると、食品や服飾など紹介事業によるマネキンの日雇い雇用日数は、21年度時点でコロナ前の19年度比で4割減った。マネキン減少の影響について、各産地は、「休日の販促が平日に切り替わった」(JA全農とちぎ)、「野菜の試食販売が数回キャンセルになった」(JA全農いばらき)などと話す。産地にとっては知識と経験が豊富なマネキンが減ると、商品を効果的にPRできなくなる恐れがある。
人材育成が課題
マネキンは、デパートや物産展などの催事で、食品だけでなく、家電や化粧品、洋服をPRしている。一部の会社では、洋服を催事でPRしていたマネキンがファッション事業の不振を受けて、菓子や青果に切り替える動きも広がっている。
47のマネキン紹介・派遣事業者で組織する全日本マネキン紹介事業協会によると、厳しいファッション事業などの仕事を請け負っていた事業者が、比較的売れ行きが好調な食品業界の紹介を増やす傾向にあるという。
元大手スーパーのバイヤーで青果物流通に詳しい代田実さん(64)は、「人材確保が急務」という認識を示した上で「生産者やJAはマネキンという青果物の良さを消費者に伝える代弁者を育成するためにも、販売現場に出向いてマネキンと共に産地の実情を伝えてほしい。どの業界も人手不足の中で、産地が青果物を扱うマネキンを育てる意識が必要」と指摘する。
<取材後記>
昨年の12月上旬の週末、大型店舗で買い物をしていると、青果物売り場で女性のマネキンが愛媛県産ミカンの試食を勧めていた。四国支局の記者として松山で4年暮らしたこともあって、思わず「今年の出来はどうですか」とマネキンに話しかけた。「台風被害もなくおいしいですよ」と県のマスコットキャラクター・みきゃんのシールを3歳の娘に手渡しながら教えてくれた。
娘は普段ミカンを食べないのだが、シールを受け取り、渋々といった表情で一口食べた。すると「おいしい」と言いながら試食のお代わりをせがんだ。思わず1袋買った。
物価上昇を背景に「価格転嫁」の必要性が議論になっている。資材価格の引き下げや消費喚起策といった新しい取り組みはもちろん必要だと思う。一方で、買ってみたいと消費者が思う基準は価格以外にもある。そうした技術を持つマネキンという仕事にいま一度、注目が集まってほしい。(丸草慶人)