命つないだ〝自給自炊〟 農村の踏ん張り瀬戸際 石川・穴水町曽良地区
石川県・能登半島地震は、道路の寸断で3000人以上が一時孤立した。そうした中、多くの避難所では農家が米や野菜、海産物などを持ち寄り、国の支援物資が届き始めるまでの数日間、1日3食の“自給自炊”を続けた。過酷な被災直後を乗り切る支えとなったが、地震から2週間余りが経過し、命を守る農村の自助努力も限界に来ている。
震源の南西40キロ。七尾湾の開口部にあり、津波も襲来した穴水町曽良地区。雪が降る底冷えの7日夕、旧兜小学校の体育館は炊き出しの湯気で暖かかった。
野菜のみそ汁を作っていたのは60、70代のお母さんたち12人。「あったかいうちに食べてね」。リーダーの室木律子さん(68)が、配膳台の前で列を作った住民200人のおわんに次々とよそった。
同小は2008年3月、生徒数の減少で閉校したが、地域住民と観光客の交流拠点として再生された。学校で給食を作る自校式だった同校には調理場があり、「地域の食材で作る家庭料理を食べてもらおう」と泊ひろ子さん(74)や室木さんら地域の女性たちが「かあさんの学校食堂」を開設、人気を博した。
新型コロナ禍に伴う営業制限とメンバーの高齢化で、今年3月の閉店を決めた直後、今回の地震に襲われた。
1日夕、大津波警報が出た地区では400人が同校に身を寄せた。室木さんらが「温かい食事を提供しよう」と農家に食材の無償提供を募った。米、ダイコン、ニンジン、ハクサイ、タマネギ、キャベツなどが惜しみなく集まり、元日は塩おむすびを振る舞い、2日から具だくさんのみそ汁も作り始めた。
避難者全員が食べる米は1日150キロ前後。4日まで3食とも手作りで賄い、物資が届き始めた5日からはパンやカップ麺も取り交ぜつつ、夕食だけは温かいご飯とみそ汁を出し続ける。「これがあるから頑張れる」。倒壊家屋の片付けなどを担う地元消防団の岡田茂樹さん(65)たちに笑顔が戻った。
自給食材は間もなく底を突く。自衛隊による炊き出しが始まったが、曽良地区でもインフルエンザなどの感染症が広がり、体調を崩す高齢者が増えている。16日現在、同地区にはまだ二次避難場所への案内はない。