瓶詰のサイダーやミカン水の王冠を開けると、瓶の飲み口にさびがついていました。それを全然ちゅうちょすることもなく、服の袖で拭って飲んでいたんです。良くも悪くも雑多な時代で、今のような衛生観念とかはなかったですね。

毎日の食卓に上がるのは、昔ながらの郷土料理。中でも一番好きだったのは「ろくやた」。オカラの上に、酢で締めたイワシを載せて、さらにその上に紅ショウガをぽこんと載せたものです。オカラのすしです。
高知には、他にも変わりずしがあります。田舎ずしと呼ばれる、魚の代わりにナス、タケノコ、ミョウガなどの野菜が載る握りずし。コンニャクをおいなりさん状にして酢飯を詰めたものもありました。昔、四万十川上流の方では新鮮な魚が手に入らなかったので、生まれたと聞きます。流通が良くなってからも、郷土料理として残っているんですね。
高知といえばカツオのたたきが有名ですが、全国的にメジャーになったのは私が中学校くらいの頃ではないでしょうか。どちらかというと、たたきよりも刺し身で食べていたと思います。それにカツオといえばなまり節。ちょっとゆで上げた、半生のかつお節のようなもので、しょうゆでいただきました。

もうひとつ忘れられないのが、自家製蒸しパン。うちの田舎では自宅で、小麦粉を練ってセイロで蒸したパンを作っていました。中にはあんこが入っています。西洋的なパンとはちょっと違い、おまんじゅうみたいな感じです。

父の実家も母の実家も、農家です。それぞれ家を継ぎはしませんでしたが、子どもの頃から米を作る様子を見ていますから「一粒の米には7人の神様がいる」と言っていました。「食べ物を粗末にするな」「出されたものはきれいに食べろ」としつけてもらいました。ご飯を食べる前には、きちんと手を合わせて、感謝してからいただきます。
そのような良い食育を受けていたんですが、大学に入って1人暮らしをしてからは食生活が乱れました。朝は寝ていたいので食べないじゃないですか。夜は飲みに行くし。私は飲む時には食べないんです。そのため体重が53キロまで落ちた時期があります。栄養失調ですよね。

大学卒業後に営業職として働きだしてからも、食の記憶はあまりないんですよ。朝早くからずっと時間に追われていたので。営業先のお店でおにぎりを買って車の中で食べる。それで済ませていました。
今の人たちはあまり飲みに行かないじゃないですか。けど、われわれは平日でも飲みに行きました。小さい営業所なので、昨日飲んだ仲間とまた今日も飲みに行く感じでした。
ですから食生活はかなり悪かったんですが、26歳で結婚してから、家内にいろいろ作ってもらえるようになり、まともな食生活になりました。家内も高知の生まれですので、好みが似ているんですね。二人とも、素朴な郷土料理が大好きです。
東京の日本コカ・コーラ社に移ってからも、食べ物の好みは変わりませんでした。食べる前に手を合わせるのも変わりません。私の場合、きちんと感謝の念を込めるので、その時間が長いんですね。一緒に働く外国人から奇異に見えるかなと思い尋ねてみたところ、上司は「とても大切なことだから、やめる必要はない」と言ってくれました。それを聞いて、ホッとしたことを覚えています。
(聞き手・菊地武顕)