[論説]新潟県中越地震20年 記録から学びつなごう
2004年10月23日、午後5時56分。強烈な揺れが新潟県の山間部を襲った。震源が地下13キロと浅かったことや、午後6時台に震度6強の余震が2度起きたことで被害が拡大。68人が亡くなり、田んぼやのり面の崩壊など、農業関係の被害額は県内外で1000億円以上に上った。
震災の記憶と教訓を語り継ごうと、激震地の長岡、小千谷の両市には、4施設と三つの公園で構成する「中越メモリアル回廊」がある。「何を残すか」より「何を伝えるか」を念頭に整備した。
豪雪地帯で多くの山崩れが発生し、全村避難した山古志村(現長岡市)の復興交流館「おらたる」では、せき止められた川の決壊を防ぎ、下流域の被害を食い止めた作業などを紹介する。
「避難所の、境のないくらしで感じたのは、みんな一緒だから頑張れるということ」など、避難を余儀なくされた人の思いをありのまま展示したのも特徴だ。
月日と共に記憶は薄れるが、苦しい体験や教訓を風化させないように、できるだけ記憶を鮮明に記録し、後世につないでいくことが大切だ。それが災害に遭って苦しむ尊い命を救うことにつながる可能性がある。
日本海側を襲った中越地震で得た教訓は、能登に生かされているだろうか。避難所のトイレはどうか、足腰の悪い高齢者らのために速やかに段ボールベッドは届けられたのか。9月には豪雨が追い打ちをかけ、復旧・復興は難航している。冬の到来を目前に、対策を急ぐ必要がある。
能登は海に囲まれた半島で条件が異なるものの、中越地震でも多くの集落が孤立した。高齢化が進む地域では助け合いが重要だ。山古志村では集落単位の避難に取り組み、帰村を実現した。中越地震20年の特設サイトでは、復旧・復興で重要なのは人のつながりだと伝える。
中越メモリアル回廊の取り組みは今月、東日本大震災の震災遺構として公開している宮城県石巻市の門脇小学校で特別展示している。海辺と山地の被害の違いを知ることや、被災地同士のつながりを通じて防災意識を高めることを目指したものだ。参考にしたい。
過去の経験を踏まえたハザードマップなどは、命を守るため地域住民全員が共有して訓練に生かし、備えにつなげよう。