私が特に注目したのは、「どうぶつ埴輪(はにわ)」たちです。馬や犬、そして牛、鹿、猪、鶏、水鳥などが勢ぞろいで、当時の人たちの身近に動物たちがいたことを想像させてくれました。中には「見返り美人」ならぬ「見返り鹿」もいて、狩りをしている最中に鹿がこちらをうかがう様子は今にも動き出しそうでした。
さらに時代をさかのぼって、青森県にある縄文時代の三内丸山遺跡からは、熊、猪、鹿など多くの動物の骨が出土し、当時の人々がこれらの動物の肉や内臓を食べていて、栄養学的にも豊かな食生活を送っていたことがわかります。
しかし6世紀に仏教が伝来し、「殺生禁断」の教えとともに日本人が古くから持っていた穢れ、忌避意識と結びついて、肉食を避ける風習が生み出されたと言われています。そのような中にあっても、「薬猟」や「薬食い」と称して肉食の風習が細々と続けられてきました。
肉食が本格的に広まったのは明治になってから。文明開化の象徴として牛鍋ブームが起き、福沢諭吉が牛肉食を奨励し、「食肉のススメ」に貢献したと言われています。こうしてみてくると、日本人が肉食を避けてきた期間は、縄文時代以降6000年の長い歴史の中でもたかだか1300年ほどということがわかります。農林水産省の「食料需給表」によると、年間一人当たり供給量(純食料ベース)で、牛豚鶏合わせて1960年度は3.0キロだったものが、2011年度には魚介類を抜き、2023年度は10倍以上の33.6キロとお肉が食卓の主役になったのです。
公益社団法人全国食肉学校
専務理事学校長
小原和仁