熊による被害が各地で相次ぎ、農家を含む地域住民の身の安全や財産を脅かしている。熊の暴威に直面した現場の肉声から、被害続出の背景を探った。
襲ってきた熊の爪が右のこめかみに届いた。驚いて足を滑らせ、斜面から落ちた拍子に熊は逃げていった。命からがらで近くの自宅に駆け込んだ。洗面台で水をすくい顔に近づけると、柔らかい感触があった。頬までぶら下がった眼球だった。
「まさか自宅の近くで熊に襲われ、けがまでするとは思いもしなかった」。中山間地域の島根県邑南町、宇都井地区に住む松島弘文さん(79)は、そう打ち明ける。6月の出来事だった。
10日余り入院し、失った右目には義眼を入れることが決まった。米や野菜を主に自家用に40アール程度栽培する松島さんは「初めての所は高低差がつかめず怖い。畑を耕すのも苦労する」と吐露する。
熊と遭遇したのは午前6時ごろ。自身の畑で、キュウリの収穫をしていた最中だった。松島さんによると熊は全長1メートル余り。身長約160センチの松島さんの「肩の高さまであった」という。松島さんが襲われた当日、遭遇した場所付近に捕獲用のおりを町が設置するも熊は捕まっていない。
環境省によると、今年の熊被害は東北などで目立つが、西日本でも発生している。島根県は同町を含め2件で確認され、最西端の発生県だ。
町によると、今年の熊の出没件数は44件(10月末)。昨年の13件を(同期比)大幅に上回る。人身被害は2004年の町村合併以来、初だという。
町は「これまでは山道での出没が多かった。畑や人家に近い場所での出没はあまり聞いたことがない。人の生活圏に近づいてきている印象だ」(産業支援課)と話す。
遊休農地に草木が茂り、熊が隠れる場所になることも多い。松島さんを襲った熊も、農地ではないが竹やぶの中に潜んでいた。
町内の荒廃農地は412ヘクタールで増加傾向にあり「山際など、森林に近い場所も多い」(町農業委員会)という。
松島さんは毎年、春先と水稲収穫後に竹やぶを刈ってきたが、今年の春は「たまたま刈らなかった」。その矢先の遭遇だった。現在、現場周辺の斜面は全て刈り払った。
「まずは自宅周辺から熊が寄りつかない環境にしないと、安心して暮らすこともできない」と警戒を強める。
町は、毎年住民全戸に配る熊被害防止を促すちらしを今年、約4700部用意。集落周辺の茂みを取り除き、見通しの良い環境づくりなどを目指す。