

新しい給食センターは、地盤の強い高台にあり、毎日、全小中7校計3600食分の給食を作っている。併設された備蓄庫に入ると、大型冷蔵庫3台に精米が入った米袋がびっしりと積まれていた。深江美和所長が「町で取れた米を3万食分備蓄していて、古いものから給食用に使い、使った分を補充する仕組みです」と説明した。
建設のきっかけは16年4月の地震だった。
当時の所長、内村康成さん(56)が旧給食センターに駆け付けると、壁や天井は破損、調理機器は倒れていた。自衛隊やボランティア団体から「炊き出しに使わせて」と頼まれたが、断らざるを得ず、悔しい思いをした。ボイラーには亀裂が入り「調理中だったら爆発していた可能性があった」。
旧センターは地震前、20年に建て替える計画だったが、地震後、停電が早く解消した別の地域に、耐震性を高めた炊き出しもできる施設へ変更された。完成までの3年間、給食に弁当を提供したり、熊本市で作ってもらったりした。

総事業費約20億5300万円を投じた新センターは、調理場や災害時の炊き出し室、食品備蓄庫、42トンの貯水槽、自家発電機と72時間稼働分の燃料、研修室などを備える。オール電化を採用したのは「他の熱源より火災や爆発の危険性が少ない」ことも理由の一つ。調理機器はコンクリートの床や壁にボルトで固定して耐震化。井戸には滅菌装置があり、緊急時の安全性を高めた。
さらに、地震後数日は炊き出し支援がなく、水やパンしか出せなかった避難所もあったことから、1台で汁物700食分を調理できる移動式の煮炊釡10台も備えた。
センターから600メートルの場所には来春、複合施設が完成する。平時は文化ホールなどとして使われ、災害時には屋内に300人、駐車場に180台を収容する基幹避難所になる。