半世紀に幕下ろす・畑中さん
「たくさん支援してもらったのに続けられないのが心苦しい」
能登町で被災した畑中栄一さん(73)は、半世紀の酪農人生に幕を下ろす。震災前に45頭いた牛のうち、20頭は廃用。震災後に生まれた牛を含め、28頭を県内外の牧場に引き取ってもらう。4日までに16頭を送り出した。「この年まで必死にやってきた。残念の一言しかない」と心境を吐露する。

年末から、妊娠牛は出産ラッシュだった。本来なら乳量も最盛期を見込んでいたが、地震による断水と機械類の故障で搾乳を断念。「乳が張って痛がる牛たちの鳴き声を聞くのはつらかった」と、搾乳再開までの1カ月を振り返る。
25頭いた搾乳牛では乳房炎も相次いだ。治療しながら出荷再開にこぎ着けてからも、乳量は1日100キロほどまで落ち込んだ。資材高騰もあり、牛舎の再建には踏み切れなかった。経営の足しにしていた和牛子牛も高く売れず、「今が潮時や」(栄一さん)と、自分の代で築いた酪農経営を、自分の手で終わらせる決断を下した。
震災後に周囲から受けてきた支援を思うと後ろ髪を引かれる。妻の千恵美さん(64)は「皆さんの支えがあったから、ここまで心丈夫にやってこられた」と話す。
都市部に移住も考えたが、移動式の仮設住宅を借り、しばらくは自宅と牛舎があるこの地で生活を続ける。「夫婦2人で何十年と走り続けてきた。落ち着いたら妻を旅行に連れて行って、いたわってあげたい」(栄一さん)。畑中さん夫妻は現在、半壊の自宅に残り、最後の牛たちの世話を続けている。
第三者継承白紙に・生産組合
廃業を決めたのは畑中さんだけではない。「能登牛」100頭を飼養していた柳田肉用牛生産組合(能登町)の駒寄正俊組合長は、6月の市場に出荷する4頭を最後に廃業する。道路寸断や停電、断水で、震災直後には息絶える牛も出た。
第三者継承を準備していたが、地震で白紙にせざるを得なかった。「せっかくやる気ある若いもんに環境を整えてやれなかった」と悔やむ。
県のまとめでは、4日現在、依然として16戸の畜産農家で断水が続く。各農家が新たに地下水を引いたり、給水車の配給を受けたりして苦境をしのぐ。
県酪農業協同組合によると、震災前に31戸あった酪農家のうち、5月末時点で27戸が集乳を再開している。その他、1戸は集乳再開のめどが立つが、1戸は経営継続の意向はあるものの見通しは立っていない。2戸は廃業した。JA全農いしかわによると、肉用牛農家は2023年12月末時点で、繁殖・肥育経営合わせて34戸だったが、震災後、3戸が廃業する見通しだ。