「稲刈りを励みにやってきたんだけどな。田畑が雨に飲み込まれてしまったよ」
珠洲市の米農家、浦野政行さん(71)は、地震で家は壊れ、農地の一部も崩壊した。長年、栽培していた葉タバコは地震による畑の地割れやハウスで苗が育てられないなどで栽培を断念。それでも何とか作付けできる田で米を作り、仮設住宅に暮らしながら農家は続けた。稲刈りや新米を楽しみにしてきた浦野さんは「自然相手だから、被害を嘆いていても仕方ない。農業をやらないといけない。農家だから」と自身に言い聞かせるように語った。
JAのとの中島正明専務は23日、珠洲市の農家らとあぜ道で言葉を交わした。一部崩壊したり水浸しになったりしている田を前に、農家は一様に「心が折れそう」「もうやっていられない」などと落胆しており、どう声を掛けて良いか分からなかったという。中島専務は「地割れなどの地震被害を懸命に復旧し、かなりの苦労をして営農を再開した農家ばかりだ。収穫を前にして予想外の水害に見舞われ、農家の悲しみを思うと本当につらい」と語る。
輪島市の「のと栄能ファーム」を営む山下祐介さん(38)は道路寸断などで全ての農地にたどりつけていない。「農家の中には地震よりひどいという声もある。地震発生後、前向いてできることをやろうと営農に向け立ち上がりやっとの思いで収穫までこぎつけた中で起きた水害。めいってしまう。もう勘弁してくれと思う。気持ちが続かない」とこぼした。
輪島市の鳳至川流域で営農する池徹哉さん(41)は冠水した水田やブロッコリー畑、流出した農業ハウスの跡を前に肩を落とす。
能登半島地震で隆起し、水がこなくなった水田に「少しでも収入になれば」と8月、初めてブロッコリーを18アール作付けした。今月末に収穫を予定していた矢先、全て冠水した。ごみや流木に押しつぶされたブロッコリーが無残な姿を残す。
地震の混乱の中、やっとの思いで両親と作付けした約9ヘクタールの稲はまだ7ヘクタールが未収穫。ミニトマトや原木シイタケが入る農業ハウスも7棟中、4棟が流失した。「残った3棟で収穫中のミニトマトも泥が入り、全滅だろう」(池さん)。農機やドローンにも泥が入り、使用不可能とみられる。「農地がこの状態では、新たな作付けもできず、これから収入の道がない。自力では限界。行政に助けてもらうしかない」と惨状を訴える。
(町出景利、尾原浩子)
道路寸断で集乳ができない、生乳は処分ーー。地震で甚大な被害を受けた酪農家も、追い打ちをかけるような水害に見舞われた。
珠洲市若山町で乳牛75頭を飼養する道下要治さん(51)は、23日までの2日間、断水と停電で搾乳ができていない。牛に飲み水や餌も与えられず、牧草だけを与えてしのいできた。「牛たちは痩せてきている。乳が出せずに、牛が鳴くのを聞くと心が折れる」。
23日正午ごろに県の支援で発電機が届き、2日ぶりに水を与えられた。ただ、普段使っている上水道が断水中のため、タンクに残る水12トンが最後の水だ。飲み水や子牛に与えるミルク、搾乳に必要な1日の水の量は10トン。「明日の朝でタンクの水は尽きる。給水が受けられないと水を与えられない」と嘆く。
餌の備蓄は1週間分ほど残るが、牧場につながる道路が土砂崩れで寸断。集乳車や餌を運ぶトラックが通れない状況だ。現在復旧が進められているが、道下さんは「あと数日はかかるかもしれない」とみる。
元日に起きた能登半島地震でも停電や断水で半月ほど搾乳できなかった道下さん。地震前に1日2トンあった乳量は、搾乳を再開した1月中旬に500キロまで減った。2月中旬に出荷再開するまでの生乳は処理した。9月には1600キロに乳量は回復してきていたが、再び生乳を処分せざるを得ない状況だ。「2日間搾乳できていないので、また処分しながら乳質検査を受けなければならない。牛の病気も心配だ」と肩を落とす。
(島津爽穂)