28日で、地震被災地の能登半島を襲った記録的な豪雨から1週間。石川県輪島市の東克芳さん(73)は、本格的な工事を控える中で泥水にさらされた家の基礎を前に、元日の地震で命を失った娘に誓った再起の決意を思い起こす。「ここに住み、共に過ごしたいと考えていたことを知ったから」。床上浸水した仮設住宅で生活を続け、泥だらけになった自宅の敷地を片付けながらも「娘の思いが残る家をこの地に」との信念を貫く。
豪雨の21日。前日に最後の稲刈りを終え、出荷を待つ米4トンのうち半数が、膝の高さまで押し寄せた泥水に丸1日、浸かった。コンバインも濁流にもまれ損傷。JAのと職員が点検したが、修理は厳しい状況という。
それでも、残り続けたい理由がある。「実は元日の後、この地を去ろうと思っていた」という東さん。長女の芳美さん(当時42)は同日の能登半島地震で、家の下敷きになり亡くなった。克芳さんが2月に遺品を引き取ろうと訪れた社宅。娘の友人から、芳美さんが「戻って両親の面倒を見るんだ」と話していたことを知った。
この土地を、一緒につなごうと思ってくれた、娘のために。地震の後にトラクターを行政支援で買い直し、2・5ヘクタールと半減した水田に稲を植えた。仮設住宅と田を往復しながら収穫を終えた途端、想像もしない規模の豪雨がやって来た。
芳美さんの遺品や地震で全壊した家から持ち出した物を保管したコンテナは、克芳さんが避難した高台から見下ろす中、豪雨で押し流されていった。先のことはまだ考えられないというが、「ここに、残る」。押しつぶされそうな心は今も、亡き娘の遺志に支えられている。
(島津爽穂、撮影=鴻田寛之)