
もう60年以上も前の話です。三次では、結(ゆい)みたいなものがありました。田植えの時期になると、全部の家の田んぼを地域の人全員で植えていたんです。ここの田んぼから順番に、という感じで、全員が力を合わせて一気にやったんですね。
この大釜でおいしいご飯を炊くのはなかなか大変らしくて。吹き出したタイミングなどを見て、くべていたまきを全部取り払うんです。あとは余熱でご飯が出来上がるんです。そのタイミングが難しいそうで、リーダーが「はい、ここでまきを全部どけて」と命じていました。
炊き上がったご飯でおにぎりを作るんですけど、釜の縁には分厚いおこげができるんですね。結構大きなおこげを剥がして、いくつかに割る。それを僕たち子どもがもらいに行っていました。このおこげがすごくおいしくて、子どもたちは喜んで集まったものです。
60年以上前の話ですが、あれは忘れられない味です。
僕は最近、おこげを得意にしているバーミキュラの鍋を買いました。それでできたおこげもおいしいんですけど、子どもの頃に食べた感激するようなおいしさではない。当時の自分の味覚がどうだったのか分からないですけどね。あのおこげは、いまだに最高の味として記憶の中に残っています。
一方で大阪でおいしいと感じたものがあります。新鮮な魚です。
三次は山間部ですので、刺し身といえば“ワニ”しかなったんです。ワニとはサメのこと。サメの肉はアンモニア分が多くて腐りにくいんです。そのため海から遠い三次でも食べられました。祭りとか正月といった時に出されて、僕は結構おいしいと喜んで食べていました。
大阪に出て新鮮な魚に出合い、白身魚が大好物になりました。今でも魚は大好きで、食事に誘われ「何を食べたい」と聞かれれば「魚のおいしい店に行きたい」と答えます。
でもどんなにおいしい魚でも、毎日食べたいかというと、そうではない。それに対しておいしいご飯は、毎日食べたいと思います。
僕の朝食は、ご飯とみそ汁と目玉焼き2個。塩をかけた目玉焼きは、ご飯によく合いますよね。これさえあれば、あとはほぼいらない。そのくらい好きなんです。
彼の家は、僕たちが住んでいたところよりもちょっと高い場所にありました。山の中腹です。三次はどちらかというと棚田の地域で、山の上に小さな田んぼがあります。効率が悪いんですが、逆にそういうところのお米はおいしいんですよ。彼の田んぼで作られた「コシヒカリ」を、30年以上も食べ続けました。
でも残念ながら彼は年を取ったこともあって、米作りをやめてしまったんですね。
この年齢になって、僕は“米難民”になってしまいました。
今はいろいろ試しているところです。いくつかのブランド米は確かにおいしいけど、自分になじんだ味というのがあるので。しばらくの間は、これだという米を探し続けることになりそうです。
(聞き手・菊地武顕)
なるせ・しょうへい 1951年、広島県生まれ。20代で民謡の勉強を始め、すぐに頭角を現し数々の賞を受賞。85年、日本クラウンから「博多節/福知山音頭」でデビュー。99年発売の「はぐれコキリコ」は50万枚を突破するヒットとなった。2019年には民謡生活45周年を迎え、公益財団法人日本民謡協会第46代名人位の称号を受けた。日本の原風景を歌う民謡風歌謡曲「あんちゃん」発売中。