野菜は、祖父が住宅街に運んで売っていました。収穫したナスビやトマトを、運搬車っていうんでしょうかね、大きな自転車に積むんです。その自転車のハンドルのところに子どもが乗る椅子があって、僕はそこに乗せられて一緒に行ったことを記憶しています。幼稚園くらいの頃でしょうね。
おやじは京都市役所に勤めながら、米を作ってました。おやじの代になると、近所で田んぼを見られないという人たちが出てきたんです。親から田んぼを相続したけども、自分は他で働いているから米作りはできない、と。そういう人たちから「田んぼを見てくれ」と頼まれて、ずいぶんとたくさんの田んぼで米を作っていました。一番多かった時で、5町半(1町=1ヘクタール)か6町くらいを見ていました。役所で働いて帰ってきたら、そのまま田んぼに出ていく。おやじのそんな姿をずっと見て育ちました。
僕は長男なので、祖母から「大人になったら、安田の家を継がなあかんで」みたいなことをしょっちゅう言われていました。家としてお米を作っていくのが大事やなと捉えていて、高校生くらいからいろいろと手伝いをやりました。ですから僕にとって一番の食べ物といえば、やっぱりご飯。うちでは、おやじが刈り取った米を4畳半くらいの広さの冷蔵庫に保管して、それを精米して食べていました。いつも新米みたいな感じのご飯を食べていたわけです。
白いご飯はなんにでも合うと思うんです。卵かけご飯もカレーライスも好きだし、キムチと食べるのもいい。焼き肉と一緒に食べるご飯もおいしいですよね。パンかご飯かと聞かれたら、100%ご飯派です。
そういう中で長じて、僕は映画を撮るようになりました。この仕事を始めて、みんなが田んぼの風景について勘違いしていると気づいたんですよね。すごくきれいな自然の風景があって、その自然の中の一部として田んぼがあると感じているようですけど、それは勘違いだと思うんです。田んぼは自然ではなく、毎年毎年農家の人が、水を張って、田植えをして、育んで、稲刈りをして……。その営みの中で残った風景だと思うんです。それだけに普通の自然以上に、かけがえのない風景、価値のある風景じゃないかと思います。毎年の闘いのおかげで残ってきた風景なんだから、それを守っていかなあかんなと思います。
現実の僕も、昨年、父が亡くなって後を継ぎました。田んぼは全部で3町ありましたけど、僕ではとてもそれだけ作ることはできない。1町半は返しました。おやじからも生前「もう自分の家の田んぼだけやったらええよ」と言われていましたし。
米農家と映画監督の兼業です。今回の「侍タイムスリッパー」という映画は、田植えと稲刈りの時期を外して撮影をしました。江戸時代から現代にタイムスリップした侍が、白米を見て驚くシーンがあります。そのご飯は、うちの米を炊きました。
でも米作りはまだまだですね。今年の米も去年の米も、一昨年までおやじが見ていた頃の米と比べると、ちょっとつやが劣るような気がします。農家としてもっと研さんしたいという思いがありますね。
(聞き手・菊地武顕)