先生が東京ではなく三島に住んでいたからなんですが、先生の家には男性のお弟子さんが住んでいました。一緒には住まわせられないので、先生が懇意にしている伊豆長岡という温泉町の割烹旅館の女将(おかみ)さんのところに預けられたんです。私は旅館の別宅に住ませていただき、歌の勉強をしながらコンビニでアルバイトをしました。また伊豆長岡の芸者さんたちと一緒に踊りや三味線を習い、旅館で皿洗いや布団敷きなどお手伝いもしていたんです。

私が住んでいた別宅にはちょっとした庭があったんですが、そこで野菜も栽培するようになったんですね。野菜ができた時に、旅館のまかないでそれを使った料理が出され、私もいただいたんですよ。
買ってきた野菜ではなく、手作りのもの、しかも家のすぐそばでなったものを食べるという経験は、それが初めてでした。とてもおいしくて。こんなにもみずみずしい野菜が、身近で作られ、それを食べられるなんて。たまに旅館に手伝いに入った時に、女将さんが庭でできた野菜で作った炒め物、サラダや漬物を食べるたびに、うれしく感じました。
私は、デビューをするまでに6年かかりました。その間に、以前オーディションや大会で出会った仲間たちがどんどんデビューする姿を見ると、焦りや不安を感じました。でも女将さんをはじめ皆さんが温かく包んでくださったおかげで頑張れました。また、穏やかな自然に触れることで、気持ちが変わるというか。温泉地ですからゆっくりと湯に入ることができましたし、天気がいいと富士山が見えるんですね。

実はデビュー後も女将さんの下でお世話になり、都合20年近く伊豆長岡で生活していました。

私のデビュー曲「江釣子のおんな」は、いわゆるご当地ソングで、岩手県北上市が舞台。チャグチャグ馬コというお祭りが毎年6月第2土曜日にあるんですが、そのお祭りで出会った2人の恋物語です。デビュー後、私はチャグチャグ馬コのお祭りに招かれ、本当は小さい子どもしか馬に乗れないのですが、特別に馬に乗せていただきました。
広島県生まれの私が岩手県を訪れたのは、その歌のキャンペーンが初めてです。岩手で食べたもので今でも印象に残っているのは、ホヤ。海のパイナップルといわれていて、見た目は少しグロテスクなんですが、食べたらおいしくて。
広島時代は、チヌ(クロダイ)など瀬戸内海で取れる魚を食べていましたが、東北地方の岩手県で取れる太平洋の魚は、全然種類が違っていて、地方によって名物がいろいろあるんだなと感じました。
他にご当地ソングのおかげで知ったおいしい料理は、新潟県の十日町で食べたへぎそば。私はどちらかというとうどんが好きでそばはちょっと苦手だったんですが、へぎそばはふのりを使っているので喉越しが良くて。私がいただいたそばの中では一番かなと思ってます。
福井県で食べたソースカツ丼も忘れられません。

私は昔ながらの和食が好きなんです。中でも一番好きなのは、ご飯。おいしいご飯があれば、あとはおしんことみそ汁があればいいぐらいの感じです。自分で料理するのも、煮物、お浸し、焼き魚、煮魚ぐらい。あとは、塩辛、辛子めんたいこ、のりといったご飯の供が大好き。これは、ご飯だけでなく、お酒にもよく合うんですよね。素朴な和食をいただきながら、ちょっと冷やで一杯というのが大好きなんですよ。
(聞き手・菊地武顕)