父は教師をしていました。赴任した学校の校長先生が岩木町(現弘前市)の出身で、職員に実家で取れたリンゴを配ったんだそうです。それがものすごくおいしかったので、岩木のリンゴを買うようになったと言っていました。岩木山という山の麓で、なだらかな傾斜になっている辺りで作られるんだそうです。父が言うには、そういう場所は気温の高低差がすごいので、農作物がおいしくなるのだと。
常においしいリンゴが黙ってても出てくる環境というのは、実は当たり前のことではなく、ぜいたくなことなんですね。自分が青森以外に住んで、初めて気が付きました。

青森の郷土料理として思い出すのは「けの汁」。根菜、山菜、高野豆腐とかをすごく細かく刻んで煮込んだ汁物です。お正月に、七草がゆのような感じで食べていました。けの汁を食べるから、私は七草がゆを食べたことがなかったんです。青森がどこでもそうなのか、うちだけなのか、それは分かりませんけど。
具材をやたらと細かく刻まなきゃいけない。これが大仕事なんですよ。うちでは20人くらい集まってお正月を迎えていたので、ものすごく大きな鍋で作っていました。刻むのがあまりに大変なので、子どもにやらせるとかえって邪魔だと、手伝いをさせてもらえないほど。そういえば何年か前、正月に帰省した時にスーパーに行ったら「けの汁のもと」が売られていました。具材を全部刻み終えたセットです。これがあると、確かに助かりますよね。

出来上がったけの汁の鍋は、玄関の上がってすぐのところに新聞紙を敷いて置かれていました。青森の冬は寒いので、冷蔵庫に入れなくても大丈夫なので。私は朝に、温かいご飯にけの汁をかけて食べるのが好きでした。

もう一つ、青森時代の食の思い出として忘れられないのは、キャンプで食べた川魚の燻製(くんせい)です。父は、キャンプに行って渓流釣りをするのがものすごく好きでした。米とみそだけを持って行って、魚と山菜を取って食べる。それで、3、4日暮らすんです。とても過酷なキャンプでして、歩いて歩いて、魚を釣り続ける。体重が2キロくらい落ちるんですよ。飼っていた秋田犬を連れていったところ人間よりもへばっちゃって、2日目からは寝たままご飯を食べていました。
父は高校、大学でラグビーをやっていたので、体は丈夫。母の兄とその友達も参加していました。体力のある人たちだからできたんですね。妹たちは釣りについていくのは嫌で、母と一緒に犬の世話をしつつ、たき火のそばで遊んでいました。私は運動部だったので釣りにもついていけたんですけど、大学で運動部をやめたら途端にそんな過酷なことは無理になって。
釣ったイワナやヤマメは、たき火で燻製にしました。高い所に魚をつるし、煙でいぶすんです。たぶん親たちは、火のおこし方を変えていたんだと思います。あめ色というんですか、すごくきれいな色になりました。小さい魚は燻製にしてだしをとって、おみそ汁に使いました。家に持ち帰り、ご近所に配って喜ばれるくらい、おいしかったですね。

ある時、大雨が続いて川が増水し山に1泊多く泊まったんです。その頃は携帯がなく連絡が取れないから、遭難に近い状態です。中学の登校日に行けなかったんですが、その日は宿題をチェックする日だったので、不謹慎にも山の中で「助かった」なんてことを思っていました。大変なことも多かったんですが、キャンプは強く印象に残っています。
(聞き手・菊地武顕)