庭が広くて、畑にして野菜を作っていました。ナス、キュウリ、トウモロコシ、トマト……。母に言われて、私は野菜を取りに行ったものです。母はその野菜をジャンジャンと切って、食卓に出していました。
楽しかったのは、春になるとイチゴがいっぱい出てきたこと。イチゴ畑です。祖父の目を盗んで、取って食べていました。土が付いていても洗わないで、パッパッパッパと。

あと楽しい思い出といえば、お餅です。酒屋を営んでいたので、正月が近づくといろんなところからお餅を作ってくれと頼まれるんですね。もち米をふかして、臼に入れる。それを祖父や父や伯父らの男衆が一生懸命ついて、女の人たちが合いの手を入れて。今でも、あの餅つきの様子が懐かしいです。
小さい頃は、白いご飯はあんまり食べたことがなかったですね。麦がすごくいっぱい入った麦ご飯でした。その頃は、白いご飯が出るのはお客さんが来た時くらい。母は、カレーライスを作ってお客さんに振る舞っていました。肉なんてほとんど食べたことのない時代でしたし、カレーの中身は何だったのかしら。

小学校5年生か6年生くらいですかね、白いご飯をよく食べられるようになったのは。母がおむすびを握ってくれました。学校から帰ると、おやつのようにおむすびがお皿の上に載るようになったんです。塩だけのおむすび。でもお米が一粒ずつ立っていて、ピカッと光って見えました。そのおいしいこと。私は白いご飯が大好きでした。

それとうれしかったのは、母が運動会と遠足の時に作ってくれた太巻き。巻きすにのりを置いて、酢飯を薄く載せます。その上にきれいに焼いた卵焼き、キュウリ、桜でんぶを載せて、キュキュッと巻いて。
普段のお弁当といえば、削り箱で削ったおかかとのりとご飯を順番に載せて、おしょうゆで味を付けたのり弁。ご飯の端っこのほうに卵焼きが載っているだけの質素なものでしたけど、おいしかった。のりが一番上だから、学校に行って弁当箱を開けると、ふたにくっついていて。それをありがたいと感じながら丁寧に取って食べました。

ご飯が好きなのは、キンキン(亡夫の愛川欽也さん)も同じでした。「炭水化物の会」というのを作って、仲の良い人たちとお好み焼きやギョーザなどの粉ものを好んで食べていたけど、お米はもっと好き。白いご飯もまぜご飯も大好きで、あの人はお米がなければ駄目でしたね。
お餅も好きで、ワンタンスープに入れておいしそうに食べたこともあります。お正月のお雑煮は、漆の器に固ゆでの卵、ミツバ、かまぼこ、それにちょっと焼き目をつけたお餅を入れて。私が「駄目」と止めないと、いくつでも食べちゃうんです。
キンキンがテレビを見ながら、豆餅を自分で切って焼いて食べていた時のこと。私は見張っていなかったんですよ。本人が言うには「はっと気がついたら」って。とても大きな豆餅だったのに、全部食べちゃった。キンキンの食べ過ぎも、いい思い出ですね。
私は今でも、ご飯をおいしくいただいています。うちのマネジャーさんは料理がものすごく上手な上、私の健康を考えて、野菜をたくさん使ってくれます。みそ汁は本当に具だくさん。ステーキをちょっといただく時も、大根おろしを添えてくれて。量は食べられなくなりましたが、おいしいお米と野菜のおかげで、食事を楽しんでいます。
(聞き手・菊地武顕)