続いて鶏の唐揚げ。練習や試合の時にお弁当で持っていって、プールサイドで食べました。冷えているんですけど、かむとニンニクとしょうゆがジュワッて出てくる感じが好きで。母は骨付き肉を使ったので、両手で持ってガリガリと食べながら、試合に向けて活を入れていました。
もう一つは、母のオリジナルサラダ。生のハクサイと、春雨、豆もやし、キュウリと鶏肉。うちでしか食べられないというので小谷サラダと命名されたんですけれど、これが本当に大好きでした。ごま油としょうゆに一晩漬けておいたハクサイと春雨のシンクロが素晴らしい。選手として合宿で過ごす時間が長くなってからは、家に帰って小谷サラダを食べるのが楽しみでしたね。

私は15歳で米国に留学しました。自分で行きたいとお願いしたんですけれど、母は大反対をしたんですよ。それを押し切って行くことになったので、空港で母は泣きながら手を振っていたんですよね。私は振り返らず、グッとこらえて出国しました。飛行機の中で一人になった時に、改めてちょっとほろっと来たといいますか。
母は機内で食べるようにと、高野豆腐を持たせてくれました。それを食べていたら、隣の席の外国の方が珍しそうに見ていたんです。それで一つ差し上げたら「日本人はスポンジを食べるのか」と言われた思い出があります。


シンクロ、今はアーティスティックスイミングと呼びますけれど、運動量が激しくすごく体力を消耗するんです。体の脂肪がないと、水の中で浮きにくくなり、その分、手でかいて支えるので手に負担がかかり、腱鞘(けんしょう)炎になったり疲労骨折する選手もいます。それに手足が細くなり過ぎると、存在感が薄れ演技に良くないんです。そのためしっかりとカロリーを取って、痩せないように気を付けなければいけません。
五輪に向けて練習するようになってからは、大変でした。毎日最低でも4500キロカロリーを取らないといけなかったんです。食べることは練習の一部でした。視界に入った食べ物は何でも口に入れるっていうぐらいのイメージ。もう苦行でした。
水中で10時間くらい練習する時もありますし、陸に上がってからもウエートトレーニングをしたり、鏡の前で踊る練習をしたり。一日中練習をしているので、食事の時間はゆっくり取れません。なるべく短時間に多くのものを食べなければいけない。合宿所の食堂で栄養のバランスが取れた定食をいただくんですが、とにかく大盛りでした。
五輪期間中も量を食べなければいけないので、選手村での食事では、常に幼稚園バッグみたいな斜めがけのお弁当バッグを持ち歩きました。中にはしょうゆや好きなドレッシングなどが入っていて、それをかけることでどんな料理でも食べられるようにしたんです。

引退した時、好きなだけ酸素が吸えるということと、料理は食べたい量だけおいしく食べられるという二つが、何よりうれしかったですね。酸素について説明すると、演技の時は息を止めて苦しい思いをずっとしているんですよ。もうあんな苦しいことをしなくていいんだという喜びですね。それと食は快楽といいますけれど、その言葉の意味が引退して初めて分かった。おいしく楽しく味わえる幸せを実感したんです。
(聞き手・菊地武顕)