冬には、みそを使ったおでんを食べたものです。他の地域の人にはちょっとイメージが湧かないかもしれませんけど、おでんの横につぼが置かれているんです。おでんはそれぞれ串に刺さってるんですね。串を持って、おでんをつぼに入っている八丁みその中にズボンと漬けて食べる。それがおでんの食べ方として、当たり前なんです。

みそ汁も好きでした。特に、たまに出る納豆汁がおいしかった。赤だしに納豆が入ってるんですよ。
うちのみそ汁には、野菜がたっぷり入っていました。母が田舎の出だったためでしょうか、野菜をすごく多く使っていたんですね。
でもみそ汁の具としてならともかく、野菜をたくさん使ったおかずは嫌でした。子どもって、やっぱり肉とか揚げ物をいっぱい食べたい。それなのに母が作るのは、野菜のおひたしだったり、煮物だったり。
今振り返ると、母は体のことをすごく考えて作ってくれたんだなと思います。でも当時はそういう視点がなかったので。たまに出るハンバーグとかがうれしかったですね。
量については、中学時代が一番食べたと思います。その頃に、ちょっと味覚が変わったのかもしれません。ご飯がすごくおいしく感じるようになって。特に中3の時には、おかずはほとんどなくていい、ご飯がたくさん食べられるならそれでいい。そんな感じで食べていました。

大学(東北福祉大)に入って、実家を出て暮らすようになりました。それまで東北地方の料理は知りませんでしたから、みその違いに驚きました。みそ汁の具も、他の学生の家の様子を聞くと、うちとは違う。地域や家庭が違うとずいぶんと変わるものだと知りました。みそ汁一つとってもいろいろあって面白いと感じましたし、料理というのはすごく深いんだなと感心したものです。
ただ残念だったのは、お米。大学時代は寮生活で、おいしいご飯が出なかったんですよ。おかずも含め、安いものをたくさん食べるみたいな感じ。われわれの時代は栄養学的なことはあまり考えず、とにかく量を食べろみたいな部分がありました。今は寮での食事もだいぶ変わっているんじゃないかと思いますけど。

プロに入ってからも、食にあまり気を使いませんでした。食べたいものを食べちゃうという感じで、ファストフードをよく食べていました。当時は油の取り方がすごく下手くそでしたね。悪い油を取るか良い油を取るか。その違いについて意識が全然なかったんです。添加物が少ないものを食べるという考えもなくて。
西武時代にすごいけがをしたんです。それがきっかけで栄養士の先生について勉強し、食べ物に気を付けるようにしました。
野菜を積極的に取るようになりました。若い時は気付かなかった野菜のうま味も、ちょうど年を重ねてきて分かるようになりました。ご飯も、量より質といいますか。よく米が立っているなどと言いますよね。そういう質の良いおいしいご飯を食べるようにしました。
プロ野球では、ナイターの翌日にデーゲームをやることもあります。ナイターの後の食事は、翌日起きる時間まで短いということを考慮して、なるべく消化のいいもの、油物は避けてあっさりしたものを食べるように工夫しました。
体調の変化までは実感しなかったんですが、プレーを通じてけがをしなくなった。体が良い方に変化したんだと思います。
引退してからも、体のことを考えて食べるようにしています。健康的でいることに、食はすごく大事なことだと知りましたから。
(聞き手・菊地武顕)