「来年から草ぼうぼうだな」。雑草が刈り払われた、収穫後の美しい田園風景が広がる西日本の山間地。70代の男性2人が草刈り機を手に壁のような斜面を見上げ、白いため息をついた。階段状に連なる地区の田は、水を張る面積よりも斜面を含むあぜの方が広い。
地区の農地を受託する集落型の法人を設立したのは20年前。当時50代だった構成員は70代となり、今秋、1年後の解散を決めた。弁護士を入れた整理手続きを進めている。
受託面積は30ヘクタールを超え、平地の乏しい町では大規模法人だ。うち来年は作付けしない10ヘクタールは、別の複数の法人が分担して引き受けるが、来年まで耕作する20ヘクタールの見通しはない。
住民は途方に暮れている。600人の6割が高齢化し、30ヘクタールの地権者60人も委託を機に農機を手放した。地権者の一人は「(国が再来年3月までに策定を求める)地域計画どころじゃない。空き家も増えており、農地を使う人がいなければ荒野になる」と言った。
町は農地政策の優等生だ。基盤整備率は全国平均を大幅に上回る8割以上。20年前から法人化を進め、40の法人や認定農業者に農地を集積し、相続未登記などの所有者不明農地は皆無に近い。一方、世代交代は進んでいない。農業委員会の担当者は今回の解散に「恐れていたことが始まった」と青ざめる。
「美しい風景だ」。草刈りを終えた男性の一人が誇らしげに言った後、しみじみと続けた。「農業は、食料生産だけでなく、景観も守ってきたんやな」
息子は農業法人の株式会社を経営し、高齢化した農家から数ヘクタールの農地も引き受ける。だが、来年から受託農地を減らしていくつもりだ。イノシシや鹿の侵入を防ぐ電気柵を設けた農道を歩きながら、「やめる予定の田」を指さした。
「ただ、迷いもあって」。簡単に割り切れない思いがある──。
大学で法学を専攻し、県内の大手企業で法務を担った。高齢化した両親を「放っておけない」と思い始めた30歳の時、県外への転勤内示を受けた。天啓だと感じ、農業を継ぐ道を選んだ。
若手農家の誕生に地域は喜んだ。耕作依頼が相次ぎ、息子は集落型の営農法人を考えた。しかし、「農家3人」の要件が満たせず、集落を問わずに耕作する担い手型の株式会社を父と設立した。
驚いたのは、米価の安さと補助金がなければ成り立たない米農家の経営実態に加え、自身の人件費を考えない無私の姿だった。しかし、父は「そういうもんだ」と取り合わず、「誰かがやらんと」と燃料代など諸経費を持ち出して、地域の農地を管理していた。
父は告白した。「この一帯にはかつて、工場など複数の働く場があった。みんなはその稼ぎで農機や肥料を買い、兼業で米を作った。米価からすれば米でもうかるわけもなく、財布を分けたり、農業に自分の給料を求めたりする意識はなかった」
地域にあった工場はこの20年で中国などに移転し、かつての“兼業モデル”は崩壊している。「善意だけではやれない」と受託を減らすつもりだが、「それでは地域が荒れてしまう」。息子は悩む。
出口の見えない問答の中、息子は「持続可能な農業経営のモデルを作るしかない」と意を決した。米の生産から流通、加工、販売までを手掛ける6次産業化とブランド化を進め、取引先のある都市と農村を車で往復する毎日。あかぎれだらけの手でハンドルを握りながら、「この地域はおいしい米ができる。いいものを丁寧に作り、地域をブランドにしたい」と言った。
体力の限界を感じた父が秋、受託を減らす考えに変わった。「息子とは考え方や価値観が違う。でも、農業や農村を良くしたい思いは同じなんやな」