
店番に立つ松井智美さん(44)は、畜産業を営み、区長として集落再生に取り組んだ父の治二さんの姿を見てきた。土に触れたいという住民のために、郷見庵の裏に「いきがい農園」を整備。現在は、5人が約20アールで特産の「かぐらなんばん」などを育てる。智美さんも栽培し、みそにして郷見庵に並べる。
「子どもや大学生の防災学習の他に、新入社員も研修に来る」。「場所によって災害の起こり方は違う。震災の記憶や記録に触れて想像することは大事」と強調する。
共済連新潟の菊地壮平本部長は中越地震の当時、管理部企画管理グループに所属していた。リスク管理や事業継続計画(BCP)は今ほど一般的でなく、大規模地震に対応した手順書もなかった。
膨大な会議資料や通知文書をかき集め、初動や建物の損害査定調査、広報、他の連合会との連携など手探りで進めたことを総括し、報告書にまとめた。
「もう少し円滑にできたこともあったはず。何のために苦労したのか。次に生かさないと」と意義を語る。
(大高摩彩)
〈ことば〉新潟県中越地震
2004年10月23日午後5時56分、最大震度7の地震が発生した。死者68人、重軽傷者4795人。住家の被害は12万1604棟に上る。