東京に出てきて、魚には高いものと安いものがあることも知りました。僕の町では、漁師さんが取ってきて並べる魚はどれも同じような値段だったと思います。アジとタイもそれほど変わらなかったはずです。小さい頃、魚について相当豊かな暮らしを送っていたんでしょうね。

僕は真打ちになってちょっとぐらいの時に、雑誌の企画で「彦いちの耕し噺(はなし)」という連載をやらせていただきました。長野県の富士見町に畑を借りてですね、野菜を作る様子、作物を収穫して食べる様子を原稿に書いたんです。
農作物とちゃんと向かい合ったのは、それが最初ですね。小さい頃に、祖父母の田植えなどを手伝ったことはありますが。田植えでの10時と3時のお茶が楽しみで。たくあんやおしんこを食べてお茶をしたんです。太陽の下ですごく心地良かったのを覚えてます。
それから30年くらいたって、自分で畑をやることになったわけです。トマトにカブトムシが頭を突っ込んだ様子を見て、完熟するとこんなにも甘くなるのかということを知りました。トウモロコシはちょっとでも収穫時期を間違うと、猿に持って行かれることも知りましたね。そして雑草が驚くほど異常なスピードで伸びていくことも。

土地の人と仲良くなったこともあって、雑誌の連載が終了した後も、その畑を借り続けて野菜を作っています。「彦いち農場」という看板を立てて。
最初に育てた治助イモがおいしかったのが、野菜作りにはまった理由の一つかもしれません。粘り気のある小さな芋で、収穫してバターをつけて食べたり、つぶしてポテトサラダにしたり。それはそれはおいしかったですね。自分たちで作ったものを野外で食べることの素晴らしさを知ることができました。
フキのとうをすりつぶしてフキみそを作ったら、これまたおいしい。子どもの頃は苦いだけでいい思い出はないけど、大人になって「苦味っていうのはこんなにもおいしいんだ」と気付いたわけです。あとフキのとうは、天ぷらで食べましたね。
でも、そうじゃない食べ方もしてみたかった。創作落語家としては、工夫すればおいしいのができんじゃないかと、何か新しい料理に挑戦してみたかったんです。

そこでジェノベーゼ風のソース作りをやってみたんです。ジェノベーゼの場合はバジルと松の実とオリーブオイルですが、「ジェノベーゼじゃなく、いうなればコブチザワーゼみたいなもんを作ろうよ」なんてことを言いながら、「これとこれを合わせてみたらどうなる?」と試行錯誤して、フキのとうでソースを作りました。素材がたくさんそろっているので、いろいろ組み合わせられますからね。できあがったソースでパスタを食べたり、パンにちょっと載っけて食べたりとか。非常においしいもんでした。
最初の頃は土地の人とすぐには仲良くなれず、こんにゃくの刺し身をさかなに酒盛りをしたりして、ちょっとずつ仲良くなっていきました。やがて取れ過ぎたダイコンを持って行くと、お返しに何かもらう。そんなことができるくらいになりました。作物のやり取りで親しくなれる。これが畑の良さだと感じています。
(聞き手・菊地武顕)