
町の稲作は日清戦争前年の1893年にさかのぼる。アイヌ語で「沼に入る」を意味する「トオマ」は当時、いたる所が沼地だった。山口県などから入植した101戸による開墾が始まり、北海道でおいしい米作りは無理だといわれた時代を乗り越え、国内有数の米どころを築いた。
児童生徒は20年前から地域の人々と田植えや稲刈りをしている。加えて町は、郷土の歴史や誇りを学んでもらう場として10年前、役場の隣に農舎「田んぼの学校」の建設を決めた。そして、子どもたちが給食米を自ら栽培するための田の所有を北海道庁に打診した。
農地法はそもそも自治体の農地所有を想定していない。前例のない申請に国も巻き込んだ検討がなされ、了承された。食農教育が目的であり、農家や土地改良区の理解と支援も得られていたからだ。
「人が生きるために必要なものをいかに自給自足できるか。食料自給率が4割を切る中、基礎自治体がやれることは子どもたちにしっかりとした理念を伝えること」だと、村椿哲朗町長は言う。学校長を務める農家の舟山賢治さん(42)も「農業を子どもの憧れの職業にしたい」と表現を変えて同じことを言う。
町のブランド米「今摺(いまずり)米」を販売する地元のJA当麻が、カントリーエレベーターのサイロ12本のうち1本を子どもたちが毎秋収穫する7・2トン用に当て、通年自給を支える。
5月末、町の田1・2ヘクタールで小学高学年の150人が田植えをした。苗を積んだ「小舟」を浮かべて田に入り、大雪山系の雪解け水の冷たさに悲鳴を上げ、ぬかるみから足が抜けないと大騒ぎ。5年生の林和瑚さん(10)が言った。「給食のご飯がおいしい。米作りってすごい!」
子どもの命を守る学校給食が注目を集める。全国の多様な取り組みを伝える。