ブオー、ブオー。日本海の離島、新潟県粟島浦村には正午過ぎ、本土から到着するフェリーの汽笛が響く。島民300人余りにとって、汽笛は昼食時間の合図だ。港の近くに立つ島唯一の粟島浦小中学校では児童生徒30人がそわそわし始める。
5月23日、週2回の「仕出し弁当」の日。4時限目が終わるのはもうすぐだ──。
米を含む食料のほとんどを本土から船で運ぶ島には長い間、給食がなかった。日本海が荒れるたび、フェリーは欠航する。学校給食法はその日の調理を義務付けており「やりたくてもできなかった」のだ。子どもたちは家庭から弁当を持参したり、昼休みに帰宅したりして食べていた。
保育園、診療所、介護施設の複合施設が完成した2002年、村は保護者の負担を減らそうと施設の調理場を使い、無償で週2回の仕出し弁当と牛乳の提供を決めた。残りの3日間は持参の弁当だが、子どもたちは「みんなで同じものを食べる」喜びを味わった。
それから20年余り。人口が3割も減った島は、役場職員も含め深刻な人手不足に直面している。栄養士や調理員も足りず、カフェを経営する村民らが臨時で担う。近年のエネルギー高騰や物価高も深刻で、輸送費の分、肉は本土の3倍、牛乳2倍、もやしも1袋100円に跳ね上がった。
仕出し弁当1食当たりの食材費は本年度485円。完全給食を行う自治体平均の2倍以上だ。島出身の教育長、本保克己さん(64)は「日本で最も高価かもしれません」と苦笑いし、胸を張ってこう続けた。「お金だけでなく、手間や愛情もかかってますから」
仕出し弁当が校舎3階の多目的室に運び込まれた。4時限目が終わり、みんなで食べるため入室した1~6年の全児童8人の笑顔がはじける。1年の神丸真天さん(7)が「おいしい。うれしい。楽しい」と言い、自宅から持ってきた自分の箸を取り出した。
「いただきます」。汽笛に負けない元気な声が海の見える校舎に響き渡った。
子どもの命を守る学校給食が注目を集める。全国の多様な取り組みを伝える。