事ほど左様に、外交官というものは異なる文化を受け入れないといけないし、文化の違いが一番如実に出るのが食事なんですよね。 入省した私は、ドイツで大使の秘書官を務めました。大使は公邸で、多い時は週に6日も食事会を開いていました。それも20人以上も招いての会です。その料理をする公邸料理人は外務省が雇う公務員ではなく、大使ご夫妻の私的な使用人です。河野辰也さん(現「ムッシュ・カワノ」オーナーシェフ)という方が務めていました。河野さんはフランス料理のシェフですが、公邸料理人になる前にわざわざ日本料理店に修業に入られたそうです。
大使公邸の調理室は戦場のようでした。ドイツ人のバトラー(執事)が酒を注ぎながら、次の料理に移るタイミングを見ています。バトラーの報告を受けるや、火を入れるなど調理を始める一方、下げられた皿を洗って拭くのです。ドイツは硬水なので、すぐに食器を拭かないと白い石灰が付いてしまいます。私も手伝いをさせていただきました。忙しい中でも河野さんは、誰がどの料理をお代わりしたか残したかなどをメモし、次の食事会に生かしました。
残念ですがドイツでは、新鮮な魚が手に入りません。そのため河野さんは、オランダのハーグまで魚を買いに行っていました。おもてなしのために、そこまでする方でした。 入省から10年後、私はアジア太平洋地域を担当することになりました。北京にある北朝鮮大使館で行われた協議でのことです。食事はなくお茶が出たのですが、一口飲んだ瞬間、トイレに行きたくなって。皆がトイレに行っている間に、日本側の書類を見る魂胆だったのでしょう。
小泉純一郎首相(当時、以下同)の2回目の訪朝では、同行した記者が狙い撃ちされました。ホテルのレストランで食事をした記者団のうち3人が、食べた直後に歩けなくなるほどの腹痛に襲われ、専用機での帰国も危ぶまれたほど。3人は、北朝鮮に対して厳しい論調を取る社の記者。北朝鮮は「こちらはなんでも把握しているんだ」というメッセージを送ってきたということですね。 食を通じてのメッセージは、時に空回りに終わることもあります。2000年の沖縄サミット、首里城での晩さん会。冒頭で首脳たちの様子をプレスが撮影。その後にプレスが出て行って扉が閉まった瞬間です。アペリティフ(食前酒)は沖縄特産の泡盛を用いた特製カクテルでしたが、ブレア英首相が「水が欲しい」と言い出しました。クリントン米大統領も「私も」。続いてカナダのクレティエン首相も「私も」。ドイツのシュレイダー首相は「なんでこれ一つしか飲み物がないんだ。奇妙だなあ」と。ただ一人、日本文化に造詣の深いシラク仏大統領だけが「おいしい」と飲みました。
沖縄サミットでは、首脳がかりゆしを着るか着ないかでいろいろとありました。その延長線上での泡盛カクテルだったのでしょう。こういう式典で開催地の特産品を用いることはよくあるのですが、おもてなしの気持ちを食で伝えることの難しさを感じさせられました。
(聞き手・菊地武顕)
はらだ・たけお 1971年、香川県生まれ。東京大学法学部を中退し、外務省入省(外務公務員●種)。2007年の設立登記以来、独立系シンクタンク原田武夫国際戦略情報研究所の代表取締役最高経営責任者(CEO)を務める。“情報リテラシー”の研究開発・教育普及をしつつ、未来シナリオの構築をすることでも定評がある。メディアでも活躍。さまざまな国際会議で積極的な発言をしている。
編注=●はローマ数字の1