母には「同じものばかり食べるんじゃない」と、怒られました。「お母さんが疑われる」とも言ったように記憶してますから、周囲から「手抜きして弁当に同じおかずばかり入れている」と思われたくなかったのかもしれませんね。 子どもの頃は魚が好きではなかったので、朝から肉を食べさせてもらってました。ご飯、みそ汁、納豆。それに卵焼きとかと肉料理がついてくる。ずいぶんとぜいたくをさせてもらったなあという感じがします。
母の料理は、自分の口にすごく合いました。ハンバーグ、カレーライス、スパゲティ。僕はナポリタンはあんまり好きじゃなかったので、スパゲティといえばだいたいミートソース。夕飯に何を食べたいか聞かれたら、この三つでローテーションを組んでリクエストしてました。
16歳の時から東京で一人暮らしを始めたんですが、自分で料理をするのが面倒くさくて、カップラーメンとかコンビニのおにぎりばかり食べていました。今考えると、あんな食事でよく頑張っていたなと思います。3カ月に1回は横浜の実家に帰りました。帰る前には必ずナスとひき肉の包み揚げをリクエストしました。 健康のことを考えて、ちゃんとした食生活を送るようになったのは、結婚してからです。
嫁の実家は築地の市場で働いていました。僕は魚が苦手ですが、向こうに行くと、魚料理がたくさん出てくるわけです。「おいしいですねえ」と食べないといけないし、食べ方もきれいでないとね。たとえばサンマは、骨を取るのが難しいじゃないですか。慣れていない僕は、すごく汚い食べ方になってしまうんです。「こいつ、普段は食べてないな」とバレるのが嫌で、嫁にほぐし方を教えてもらい、練習をしました。
一生懸命食べていたら、やがて魚が好きになったんです。食べず嫌いは良くないと思います。食べるようになって、魚の良さというものが分かってきました。魚の脂が健康に良いということも分かりました。
同じように、ニンジン嫌いも克服しました。嫁が、ニンジンをすりおろしてカレーの中に入れてくれたんです。ニンジンの味や匂いがしないので普通に食べることができ、そこから徐々にニンジンを食べられるようになりました。 せっかく良い食事を作ってもらっていたんですが、僕は一時期、ストレスから過食に走ってものすごく太ってしまいました。しかも糖尿病になったんです。その時に先生が「運動と食事療法で治しましょう」と指導してくれました。そこで嫁が頑張って、野菜中心の料理をいろいろ作ってくれたんですね。おかげで正常な数値に戻りました。感謝です。
ブロッコリー、アスパラガス、ジャガイモなど、蒸し野菜をたくさん食べるようになりました。それとみそ汁。うちのみそ汁の中には、ダイコン、タマネギ、キャベツなど、野菜がたっぷり入っています。
糖尿病には、白米よりも玄米がいいといいます。でも白米は日本人の心の中に染みついている食材だと思っているので、食べたい。そこで食べ方に工夫をしています。先に野菜中心のおかずを食べて、最後に白米を適量いただくんです。60歳の今、良い食事のおかげで健康でいられるありがたさを実感しています。
(聞き手・菊地武顕)
しま・だいすけ 1964年、兵庫県生まれ。81年に、横浜銀蝿の弟分としてデビュー。リーゼントヘアのツッパリの風貌で、10代の若者からカリスマ的存在として支持を受ける。82年の「男の勲章」は、後にさまざまなアーティストによりカバーされた。俳優としてもドラマや映画など多くの作品に出演。8月28日にミニアルバム「Memories and beginnings~時を越えて~」を発売する。