私は宮城県出身なので、記憶に残る食べ物のトップといえば、やっぱりお米ですよね。うちはサラリーマンの家庭でしたが、知り合いや親戚でお米を作ってる方がいて、お裾分けをしていただいたんです。おかげで結構、新米を手にする機会があったんですね。
宮城のブランド米といえば、昔は「ササニシキ」、今なら「ひとめぼれ」ですけど、ブランド米うんぬん関係なしに、米どころで取れた新米はとてもおいしいんです。お米屋さんから買ったり、お裾分けで頂いて、封を切った時の香りがものすごく印象的。おいしいお米って、香りが抜群にいいんですね。
最近ではそれぞれの地域でブランド米が作られており、さらに味がよくなっています。でもこれは私の個人的な感覚ですけど、おいしいお米にしたいという思いが強いからでしょうか、うま味が濃いめ。インパクト重視じゃないかと感じるんですよ。

子どもの頃から食べ続けている「ササニシキ」は、冷害に弱いなど農家さんにとっては扱いにくい面があると思いますが、あまり癖がなく、サラッとしています。冷めてもおいしく、おにぎりにしてもうまい。東京のおすし屋さんでも「変な癖がないから」と使うところが多いようです。本来、お米というのはずっと長く食べるものなので、あまり癖がないものがベストだと思ってるんです。いまだに私の中では、「ササニシキ」が一番のお米です。
他に宮城で好きなものといえば、ずんだ餅。エダマメをすりつぶして、あんにします。親戚が集まると、皆でおしゃべりしながら豆を取り出して薄皮を取ったりしたものです。最終的にきれいな緑色のあんになるんですけど、エダマメの独特の香りがあって。自慢の郷土料理というと、ずんだ餅が頭に浮かびますねえ。

あと記憶に残っているのは、栗と柿。父の実家がけっこう古い家で、栗の木と柿の木があったんですよ。秋になると栗ご飯と干し柿をいただくというのが、毎年の恒例でした。実際に食べたことのある方は分かると思うんですけど、庭に生えている木にできた栗や柿は、決しておいしくないんですよね。栗は虫食いだし、柿はすさまじく渋い。おいしいから食べていたというよりは、天の恵みに感謝するという、半分儀式のようなものでした。栗も柿も、店で売っているものとの差は歴然としていました。プロが作り商品として売られているものは、本当においしいですよね。
私は、父の実家の栗と柿を食べたおかげで、虫に食べられることなく大きくてきれいな栗を育てるのに、あるいは甘く熟成した「あんぽ柿」ができるのに、農家の方々がどのくらい丹精したか理解できました。

大学生の時には、プロが作った野菜のおいしさを実感しました。長野出身の同級生の実家に遊びに行ったんです。五右衛門風呂があり、さすがにもう育ててはいませんでしたが蚕棚もあるという、とても歴史を感じる家。友人の両親は野菜農家で、朝に取った野菜をバーンと出してくれたんです。ものすごく曲がったりしてましたけど、本当においしいんですよね。塩もいらない。そのままでいくらでも食べられました。
日本の素晴らしい農作物が、もっと評価されてほしいと思います。経済の専門家として申し上げれば、円安の今こそ市場規模を拡大する政策が必要だと強く思います。それに加え、経済力をつけることも食の確保という意味ではとても大事です。多くの新興国が豊かになってきて、全世界的に食材の取り合いが始まっているんです。国内での生産量が増えても、もっと経済力のある国に取られるなんて事態は避けないといけません。日本のおいしい農作物をずっと味わいたいものですよね。
(聞き手・菊地武顕)
かや・けいいち 1969年、宮城県生まれ。東北大学卒業後、日経BP社記者に。野村証券系のファンド運用会社を経て、独立。中央省庁や政府系金融機関などに対するコンサルティング業務に従事する。「ニューズウィーク日本版」「現代ビジネス」などで連載を持つ他、テレビやラジオでコメンテーターを務める。「スタグフレーション」「縮小ニッポンの再興戦略」「貧乏国ニッポン」など著書多数。