一方、牛肉の対米輸出が始まったのは輸入自由化よりも早く、1990年(平成2年)9月のことでした。私自身も頭の中は輸入自由化のことで一杯で、輸出のことを考える余裕はありませんでした。当時、全農の畜産生産部長であったSさんになぜ輸出をするのか尋ねたところ、返ってきた言葉が今でも忘れられません。「全国の畜産生産者に元気を出してもらいたいんだ。」たしかに、輸入で大変なことになるという思いばかりが先行して、それに対抗しようと考える人は少なかったかも知れません。
しかし、牛肉の対米輸出はたやすいことではありませんでした。というのは、当時我が国のと畜場の衛生水準は、国際的にみて決して高い方ではなかったからです。当時群馬県食肉衛生検査所で食肉衛生検査員であった森田幸雄先生(現在は麻布大学獣医学部教授で本校理事でもあります)によると、初めて米国農務省食品安全検査局(USDA,FSIS)の査察があった際は、かなり辛辣なことも言われたそうです。
今年5月同局の査察団が来日し、9つの対米輸出工場と厚生労働省、厚生局、食肉衛生検査所などを査察しました。万が一重大な指摘をされた場合、輸出ができなくなることもありうるため、どの工場も細心の注意を払って対応したことと思います。大変お疲れ様でした。
公益社団法人全国食肉学校
専務理事学校長
小原和仁