[論説]書きつなぐ「女の階段」 次世代へエール送って
高度経済成長期の真っただ中にある1967年、日本農業新聞に「女の階段」が登場した。農家女性が直面する、農村や家庭での不条理やしきたりに対する戸惑いや苦しみ、悲しみを周囲に打ち明けられず、ペンを執った女性は多い。その思いに同じ境遇にある読者が共感し、仲間の輪が拡大。76年には初の全国集会が東京で開かれた。
愛読者のエネルギーは、家庭や農村の生活改善といった枠にとどまらず、農政運動にも発展。2000年には世界貿易機関(WTO)交渉に反対しようと「1万人はがき作戦」を展開、当時の谷津義男農相に手渡した。ニューヨークで開かれた国連「女性2000年会議」にも代表が参加した。全国集会は18年の三重県まで続き、計16回に上った。愛読者グループは約30ある。
だが、便利なスマホの台頭によって、手書きで投稿する女性はめっきり少なくなった。メンバーの高齢化も進み、投稿内容は家族間のすれ違いから自身の終活、旅行の思い出、孫育て、周囲への感謝に変わっていった。
転機となったのは、新型コロナ。21年に広島県で予定していた全国集会は、中止となり、群馬県の愛読者グループ「のぞみの会」は22年7月に解散。1971年に発足し、多い時は会員が50人近くいた。だが、近年は回覧ノートが止まり、活動が滞っていた。
福岡県の「ふくおか」は結成52年。参加者の平均年齢は80歳を上回り、膝や腰への負担が大きいと、一人で会場に来ることが難しい会員もいる。そこで運営方法を変更し、会費を徴収せず、規約にしばられることなく、会いたい時に気楽に会えるようにした。
高齢や病気で投稿をしなくなった人もいる。「女の階段」愛読者の会員に行った調査では、投稿を「していない」と答えた人は55%に上った。高齢化にはあらがえないが、ちょっと待ってほしい。女の階段に終わりはない。男性優位社会は果たして変わったのだろうか。政治やJA、地域の集まりで意思決定権のあるのは、男性ばかりではないだろうか。いまだにモヤモヤを抱えながら、階段を上り続ける仲間は多いはずだ。
「討論をしよう」。農村女性の自立を説いた評論家・故丸岡秀子さんはこう呼び掛けた。ペンを執り、次の世代を生きる女性たちに、熱いメッセージを寄せてほしい。