
なぜ、はんこたんなは使われなくなったのか。
記者はその謎を追い、山形県遊佐町で唯一はんこたんなを売っているという衣料店「カスリヤ」を訪ねた。
「いらっしゃい」。店に入ると、店主の阿部ウタ子さん(86)が奥から出てきた。店頭には、はんこたんなが5本ぶら下がる。「ここにあるだけで最後。耳が遠くて店に立てるのもあと1年くらい。閉店するから」
創業1957年。阿部さんが生地を仕入れ、手作業で仕立ててきた。「店一番の人気商品だった」と阿部さん。昭和40年代にかけて、最もよく売れた。
阿部さんの作るはんこたんなは、額用と目の下用の2本に分かれている。もともとは1本の帯状だったが、素早く着用できるようにと改良。「心が明るくなるように」と花の刺しゅうも。1カ月で100セット売れる人気商品になった。
だが1980年代に入ると、つば広の帽子や帽子一体型のフェイスカバーなど、手軽な日よけ商品が登場。利用者の子どもたちも、進学で町を出たり会社員になったりし、引き継がれなかった。これが、はんこたんなが使われなくなった要因だった。
価格はセットで1000円。今でも月に10本程度売れる。だが需要減に連れ、仕入れていた専用の「はんこたな地」が販売終了。代用していた生地は、今年から50メートル単位の販売になった。「生きているうちに作って売り切るのは難しい。今ある分で終わりにしようと決意した」(阿部さん)
「自分が作らなくなったら、消えるのかもしれないと思うと胸が痛い。でも、体も限界でね」。そう言うと阿部さんは、店の奥から大事そうにはんこたんなを抱えてきた。記者のために、余った布で作ってくれていたのだという。「山形には、こんな文化もあったんだって、周りの人に伝えてほしい」
記者は取材のきっかけとなった投稿をしてくれた男性に一部始終を伝えた。「伝統をつなぎ、ふるさとを守ってくれている。今でも使い続ける人がいてうれしい」と、この男性。「自分もせめて周りの人に、はんこたんなを伝えたい」
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山形県酒田市立資料館の長南秀美調査員によると、使われなくなった背景には、田植え機の普及で「下を向く作業が減った」こともあるという。かつて手で田植えをする際、帽子が外れても、泥のついた手では直せなかった。はんこたんなはひもで縛って固定できる。農家女性の必需品だったという。<ことば> はんこたんな
山形県庄内地方などに伝わる、女性が顔を覆う藍染めの布のこと。農作業時の日よけ、虫よけ、泥よけ、汗を吸うなどの機能がある。
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